何かをやろうと思うと、ある程度のサイズになれば一人では実現することはできない。
ところが、想いが完全に一致することなど見た事がないし、経験した事もない。それでも、一緒に何かをやっていてがんばれる気持ちになる人はいるし、どれだけ努力しても直近ではどうにもならない人もいる。なぜ、一緒に歩み続けることができるのか、その人ともう一人の人はどこが違うのか。
ふと、故ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を思い出した。国を発見してしまうという孤独。プロジェクトだってスケールは違うが、人はどうしても居場所を求めてしまうのだろう。その居場所を見つけさせる事で操れる可能性があり、その人自身が餌に吊り上げられているだけなのかも知れない。自分が当たり前だと思っている事が、立場が変わると全く当たり前の事で無かった事に気付く事がある。
コミュニティは恐らく全て幻想なのだろう。しかし、幻想だから無意味という事ではないし、明らかに人を救う力があり、人を惑わす力がある。