若い時の1歳差は大きいが、60歳も近付いてくると、年齢差10歳による意識ギャップより個人差の方が大きいように見える。しかし、その時々の体験は時代、世代に固有なものだ。個人の考えと、その時代に生きてきた体験に基づく感想の組み合わせが発言につながる。
昨日、教会の半期誕生祝の集会で1940年前後に生まれた複数の方の自分史に関わる話をうかがった。九州で育った方もあって、原爆で親せきが無くなった方もある。子どもの時の話になると戦争の匂いがするのである。その方々の時代的背景を考えてみた。
彼らは、小学生の時から、戦後の新しい時代を生きた今の日本の第一世代の方々である。
1949年がベビーブームの頂点だから、思春期に15歳くらい上の若夫婦の子育てを多く目にして育っただろう。1964年の東京オリンピックの時は24歳頃。1970年の万博が30歳頃。1991年のバブル崩壊の時が51歳頃。現在が78歳頃という世代。終戦が5歳頃なのである程度戦争の直接的な記憶もある。
子ども時代に国は激変している。1947年に教育基本法が作られ、「 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定められた。憲法前文にある「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」という考え方、より踏み込んで解釈すれば、戦前戦中の「専制と隷従、圧迫と偏狭」を脱し、「真理と正義、個人の価値、自主的精神」といった自由な時代への転換が進められていた頃の児童、学生である。
60年安保に関わる学生運動の中心にいた世代でもある。20歳の時に22歳の東大生が岸内閣退陣デモで死亡している。終戦から15年の事件である。終戦の年に小学校に入学した人が21歳になっていた頃の話だ。
1934年生まれの田原 総一朗氏が、「実は、吉田首相の最初の日米安保条約も、岸首相が改定した安保条約も全く読んでいなかったのである」と告白しているように、多くのその世代の方は空気で動いていたのかも知れない。
今、青年期を振り返ったらどう思うのだろうか。
昨日うかがった自分史とは別に、それぞれの方からは、日ごろから今の日本、あるいは世界は何かがおかしいと感じておられるような印象をもっている。真実が尊重されない時代への懸念と言えば良いのかも知れない。その違和感は、教育によって与えられた価値観に基づくものなのか、信仰に基づくものなのかは分からない。
良くも悪くも誰もがアメリカの思想から強い影響を受けているように見える。しかし、本家アメリカも「真理と正義」選ぶのを止め、日本も首相が真実を語っているとは思えない状況が長く続いている。どこかで、自分が子どもの時に習って信じた価値観が損なわれている事を感じているように見える。
もちろん、マクロで見る世代の背景とは別に、一人一人に自分史があって、様々な成功や挫折がある。考え方も人によって違う。戦後日本の復興で自信を取り戻し、もう一度強い日本を目指したいと思う人もいるだろう。強さは誠実さに優先すると考える人もいるかも知れない。しかし、彼の世代の人には戦争の記憶がある。
また、バブル崩壊を50歳過ぎで現役世代として経験しているので、同世代の人の中に苦しい思いをした人もいるのではないかと思う。黙っていても本人にそういう経験があるかも知れない。全体としては、明日は今日より素晴らしい社会が来るという考えを持っている人ばかりではないだろう。
改めて、もっと広範に自分史を振り返って、未来に向けての提言を求めたいと思ったのであった。聞く側の準備を整えないと、その思いを受け止める事は難しいと思う。
私は20年年下の1960年生まれ、終戦から15年後の生まれ。どうしても、自分が生きた背景で解釈してしまう。そうではなく、解釈の前に、まず、ありのまま話を聞けるようになりたいものだ。時代背景だけではなく、話す時には自分の価値観から自由になる必要がある。