モバイルワーカーは、なぜモバイルワークをするのか?
束縛されたくないから、とか、様々な理由はあるだろうが、私は新たな刺激を欲しているからというのが大きな理由なのではないかと思っている。
私の生き方に大きな影響を与えたのは、学術会議のイベントである。確か、最初は情報処理学会の全国大会で入社2年後の1986年の広島だった。昔のAIの時代である。会社の中での議論は十分刺激的だったし、上司は適当な領域を任せ自由な活動を許容してくれていたから、楽しく働いていたと思う。しかし、比較的近い分野で大学や著明な企業で研究活動を行っている人の話を聞ける場に私は魅了された。行った事の無い場所で特定の目的を共有する新しい出会いがうれしかったのだ。外部の人と話す事で大きな刺激を受け、自分の仕事にも多くの良い影響を与えた。さらに、上司の配慮で87年にミラノの人工知能関係の国際会議に派遣された。それが私にとって初めての海外経験であった。会議の議論そのものよりも、欧米だけでなくインドからも参加者があって、世界は広いと感じた。それ以来、機会を見つけては刺激を求めて動き回っている。
新しい(役に立つ)事を探すには、情報収集と分析、先行投資は不可欠だ。その昔なら書籍や雑誌、今ならネットで収集するが、収集でも分析でも対話による刺激の効果は非常に大きい。多様な背景を持つ人と類似分野で話をすると、見え方は結構異なる。自分が見えていなかった面に気がつかされることは多い。
一方で、新しい知見から、それをビジネスとして成立させるためには、気付きだけでは足りない。持続性がある系を作り上げていかなければならず、客がいなければ続かない。地に足のついた活動が回らなければ続かない。
例えば、コワーキングスペースを含むサードワークプレースは、テレワーカーやモバイルワーカーにサービスを提供しているけれど、物理的なスペースを運営している以上、そのビジネスサービスそのものは場所に縛られている。サードワークプレースのビジネスオペレーションは地に足のついた活動でなければならない。その仕事に従事している間はモバイルワーカーでいる事はできない。モバイルワーカーを目指す人がコワーキングスペースを始めて、その働き方に耐えられなかったケースもしばしば耳にする。
恐らく、長期にわたって一人でモバイルワーカーを続けられる人は存在しない。
もし、モバイルワーカーという生き物が存在するとすれば、その人を支えながら、地に足のついたビジネスを回している誰かが背後にいると考えた方が良いだろう。そのモバイルワーカーがビジネスオーナーであるケースもある。
モバイルワーカーは、悪い言い方をすれば、ぶらぶらしている人でもある。ある程度その数が多くないと未来は拓けないだろう。デカンショ節が聞こえてくる気がする。