病院で感じたいくつかの事

身内が、救急車の世話になって、かけつけて一日を過ごした。既に家族の一人が入院して世話になっている病院である。

救急車で運ばれてきた患者と家族は、病院の方々に頼るしか無い。診断が出るまで待つしか無いし、その対応についても信じるしか無い。同時に、もしその結果が好ましくなければ、医療関係者はその責任を追求される立場である。むちゃくちゃ高いストレスにさらされているに違いない。

しかし、ドクターが説明するときにはいつも笑顔だし、既に世話になっている家族の担当看護師は家族の顔を覚えていて、何を不安に思っているかを考えながら良い方法を提案してくれる。窓口締め切り時間直後に医療レンタルのカウンターに行くと閉店を取り消して話も聞いてくれた。プロだな、と思う。

プロにはいくつかの意味がある。きちんと採算に乗せるという面もあれば、ミッションを深く理解して出すべき結果を出すという面もある。食えなければ持続性がなく、使命を果たせなければ存在価値がない。

期せずして、昨日は、場所と時間に依存する働き手を書いたのだが、彼らは56%に属する人たちであり、輝いて見えた。

一方で、今日は東京医大の女性受験者点数下げ問題が話題になった日でもある。未来の医者の機会を不正に奪った。

現場で働く人たちの笑顔を支える人たちが両面でプロであればよい。いや、そうでなければ社会を壊す。

私は、嘘つきを権力の座につけてはいけないと思っている。少なくとも、嘘つきを大統領や総理につけてはいけない。私は、「カジノの安倍」恐怖政治を支持しない。嘘つきは、泥棒の始まりと言うが、権力者の嘘は流血を招く。流れを変えられるのは主権者だけだ。油断すると流れを変えることのできる制度(憲法)すら破壊されてしまう。現場の輝きを守れるかどうかは、私達の投票行為にかかっている。