保守は亡国

hagi に投稿

ついにウクライナで戦争が起きてしまった。

画像は8年前の2014年の脱ロシアを目指した争乱の時のものだが、今は再びキエフ周辺も戦場になってしまっている。

報道を見ていると、ロシアの中にも侵攻への反対意見はあるが、賛成意見もかなり大きいらしいことがわかる。

フィナンシャル・タイムズ/日経のウクライナに全てを賭けるプーチン大統領にプーチン氏が以下のように言ったと書いてあった。

権力を持つ人が忘れるべきではない政府の目的とは、「普通で安全で安定していて、かつ先の読める生活を一般の人たちがおくれる社会を作ることだ」。西側のエリート層はこの点を忘れたために、大衆と距離ができてしまったと指摘した。

保守本流である。ふと、ハンガリーに行った時に、ソ連時代を懐かしむ声が少なくない話を聞いた時のことを思い出した。ソ連時代末期は自由主義国に比べるとうまく行っていないことには気がついていたが、貧乏なりに先の計算ができた。しかし、今は成功すれば金持ちになれるが、失敗すれば路頭に迷う不安定さがある。だから前の方がマシだったという考えがあることを知った。その時は、そんな考え方があるのかと思ったし、口には出さなかったが、国が富んで社会保障を高めていくしか無いんじゃないかと思った。ウクライナに住む人の中にも、自由がやってきた喜びとともにそれに伴う苦しみがあることを苦々しく思い、昔は良かったと思うようになった人は少なくないのだろう。

クリミア併合の時に、心から喜んでいるように見えた人は確かに存在するし、絶望的な気持ちになった人もいた。

上記の記事で、筆者は「(プーチンが)本当に恐れているのは、民主主義が自国の玄関先にまで迫ることだ。」とコメントしている。「普通で安全で安定していて、かつ先の読める生活を一般の人たちがおくれる社会」という価値観は自由を取れるかも知れないと思った人からは色褪せて見える。

「(プーチンは)西側のエリート層はこの点を忘れたために、大衆と距離ができてしまったと指摘した」というのは多分正しくて、「普通で安全で安定していて、かつ先の読める生活を一般の人たちがおくれる社会」を破壊するような革新的な動きがトランプを生み、ブレグジットを成立させたと考えても良いだろう。

昨年の今頃に、NHKのサイトにトランプ支持者はなぜ熱狂的に支持しているの? とにかく彼らに会い続けた記者が、これからも語り合う理由という記事があった。その取材の中で記者がショックを受けた言葉が以下のように記されている。

彼らにとって事実かどうかは関係ない。それよりも保守派の人々にとってはアメリカを変えようとするリベラル派を止めることの方が重要だからだ

つまり、「(これまでうまく行っていた)普通で安全で安定していて、かつ先の読める生活を一般の人たちがおくれる社会」の破壊者は敵ということで、敵か味方かが最優先になるということだ。

これは日常的にも良くある問題である。同じことを発言していても自分が味方だと思う人が言えば聞くが、敵だと思う人が言えば拒否するシーンはよく見る。

「報道とはファクトを伝えることが最も重要」は保守派には意味を持たない。現実には、価値観は誰一人として完全に一致などしないから、トランプの味方か敵か、プーチンの味方か敵かという二元論となる。これまでうまく行っていたことが持続的なのかというファクトチェックに価値を見いださない。事実に向かい合わなくなるとリーダーの勘が頼りとなる。たまたま大成功になることもあるだろうが、長期的に成功が継続することはない。

民主主義と、事実を優先する考え方は同じことを意味しない。民主主義を多数決と考えれば、事実から外れていても多数をまとめれば勝者になる。言い換えれば、民主主義は事実を優先するという基本原則を守れないと差別的にならざるを得ないと言える。適切な判断を導き出せないような民主主義よりは良質な専制の方がマシと言うこともできるだろう。ただ、これまでの歴史が証明したことは、時間が経過すれば専制は隷従を求めるようになり、その保守性が犠牲者を生んでしまうのである。やがて悪夢に変わる良質な専制よりは、衆愚政治の方がマシと言うこともできる。

私はずっと保守は亡国と考えている。変化に適応するのは楽なことではないが、思想にしがみつくよりは事実に向かい合うほうが前向きだ。過去を取り戻すことはできない。私は、ロシアもアメリカも変化しなければいけない時期を迎えているのだと思う。民が変化しなければいけないと覚悟を決めているように見える国は動く。街もそうだ。

もう少し考えると、変化しなくて良い国など無い。過去を美化するような発言をする人をリーダーに選べば衰退が待つと考えるほうが良いと思っている。習近平も含め例外などない。

ともあれ、敵と味方という基軸で事態が動いてしまって、手を上げてしまえば、勝つか負けるかが問題となる。決着をつけないわけには行かないだろう。できるだけ、小さく短く終わらせないといけない。常識的に考えればウクライナには勝ち目はないから、私は、ゼレンスキーは降伏と亡命を選択して良いと思う。既に民の多くは自由を知っているから、暴力でソ連時代に戻すことなどできはしない。プーチンもルカシェンコも持続可能ではない。勝っても、国力は下がる一方だろう。

まず、戦いを終え、それから新たな変化に立ち向かうしか無いだろうと思っている。元には戻らない。

※画像は2014年の変わり果てたキエフの独立広場【ウクライナ】という記事から引用させていただいたもの