心が閉じてしまった時、どうすれば再び事実に向き合えるようになれるのか

hagi に投稿

ウクライナ戦争に関するNYタイムズの記事Spurred by Putin, Russians Turn on One Another Over the Warで、サハリンの学校教師がウクライナが独立国であることを表明したらクビになった話が報道されている。生徒は、もはやウクライナは独立国ではないと言い、誰かが当局に通報した結果、教師は不道徳を理由に解雇されたとある。何か、日本の戦時中の出来事をなぞっているように感じる話である。

ウクライナで人命が失われているのは事実。その原因は何かはサハリンの学校の生徒の見解と、教師の見解が真逆。ここまでは、ある意味でしょうがないことだと思う。思い込んでしまうと、心から人と違う見解を信じてしまうことはある。問題は2つあって、1つ目は事実の追求を多面的に行って事実に基づいた議論が行われていないこと、2つ目は意見が割れた時に政治的に正しい側がそうでない方を排除してしまうことだ。

教科書問題にも共通する。議論と対象となることに対しては、証明可能な事実はそれを明記し、事実の解釈に異なる見解がある場合は併記する必要がある。

事実を明らかにすることを躊躇う組織は腐る。組織が腐れば犠牲者が出る。特にリーダーが事実を隠蔽するようになると被害が拡大する。

では、社会や組織が排除を行うようになってしまったらどうしたら良いのだろうか?

今回引用した記事の生徒は自分が正しい行為を行っていると信じているだろうから、事実と向き合うことができない。

今振り返れば、先の大戦は日本の侵略戦争だった。実際に多くの犠牲者が出ているのは事実だ。現在のロシアがやっていることと変わらない。当時の政府は開放戦争だと主張していたので、正義は我にありと考えていて、何かおかしくないかという声を上げると自国の政府、同朋から弾圧されていた。殺されてしまった人もいる。戦争が終わって目が覚めた人もいるが、今でも正義の戦争だったと主張する人はいる。

戦いに負けて初めて目が覚めるようでは遅いが、簡単には呪縛は解けない。

簡単に呪縛が解けないとしても、まずは事実情報の大量投入、量で脳に働きかけるしかないだろう。

少し長期で考えると移動の自由の促進と異文化接触機会の拡大だろう。

考えてみると、大体国や親は間逆なことをしている。なるべく「良い」集団にいさせようとし、好ましいと思われる価値観を刷り込んでいく。男子校や女子校もそうだし、経済的なものや学力でフィルタリングして同質な集団を構成し、その集団に固有な価値観を刷り込んでいく。自国の栄光の歴史や、恨みを刷り込みながら「正義」を固定化してしまう。しかし、それは当然他の集団では通用しない。自然と、仲間と敵に分類するようになってしまう。極端に言えば、同質でない人は人間と見なさなくなる。現実に対応する力が減るので、比較的同質な強い人に依存するようになる。一定の割合になると差別感情が爆発してしまう。愛国者集団の完成である。

現実問題として、距離が近い人で集まらないと生きていくのが難しい。だから、親心は現実的なのだと思う。逆に言えば、制度的に異文化接触が増えるようにしないといけない。

アメリカは地域にもよるが多様性は高い。ニューヨーク市だともちろんロシア人もいればウクライナ人もいる世界中とは言えないとしても相当いろいろな人が生活しているから、故国のプロパガンダの影響は及びにくい。万能ではないが、そのつながりで呪縛が解ける人は増える。呪縛が解けた人の数が増えれば、突然事実が見えてくる。そんなアメリカでさえ、トランプのFakeニュース攻撃に陥落して議事堂侵入事件が起きるのだから、難しいものだ。

国のレベルでも組織のレベルでも多様性許容度の指標化を行えばやがて効果が出るかも知れない。

短期的視点では、安全保障体制の改革は避けて通れないかも知れないが、長期的に見ると扇動に対する脆弱性体質を改善する必要があると思う。私は、アジア諸国は結構危ういと思っている。日本に関して言えば、高度成長期は外を向いていたので比較的良かったが、いつの間にか排他性が高まっている。自分で思っているより、平和を守る国だとは思われていない。