今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「復活節第3主日(2022/5/1 ヨハネ21章1-19節)」。福音のヒントでは、ヨハネ伝はもともと20章で終わっていて、21章は追加されたものとしている。エルサレムとガリラヤは直線距離で120km程度離れているので、ある程度時間が経過した後の話ということになる。もともと、イエスの活動はガリラヤを中心にしていたので、弟子たちがホームタウンに帰ったとうことだろう。
福音朗読 ヨハネ21・1-19
1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
《15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。》
15節から括られているが、新共同訳聖書では特に括られているわけではなく、標題として「イエスとペトロ」がついている箇所である。
福音のヒント(1)で「復活したイエスとの出会いを伝える別の物語」としているように20章とは整合していないと思う。使徒行伝ではペンテコステまでエルサレムを離れなかったように読める記述がある。実際にはどうだったのだろうか。40日あればガリラヤ往復は十分に可能だし、弟子たちがみな行動を共にしていたとは限らない。4節に「それがイエスだとは分からなかった」とあるように、復活し昇天前のイエスはどうも生きていたイエスとは別物だ。ただ、弟子たちは復活のイエスに出会い、そしてそれがイエスだと実感した事実はあったのだろう。終わってはいなかったと感じられたのだと思う。
今から当時何があったかをつぶさに知ることは困難なので、ここで思考停止してしまうのだが、実際には何かがあったのだ。一つの仮説は何もなかったが後から捏造したというものだろう。この仮説はいかにもありそうなのだが、弟子たちの変貌を考えるとやはり何か不思議な出来事が起きたと考えたくなる。自分の個人的な体験に基づけば、物理的な体をもってイエスが来たという体験はないが、イエスは来た。合理的、科学的に考えればイエスの復活など認めようがない。神であるイエスが本物だと考えるようになるためには、イエスが来たと思わなければ自分の気持が変わった理由が説明できない。母親のすすめもあって教会学校に足を運び、そこが自分の居場所の一つになり、小学校後半から主の祈りは暗唱していた。自分なりにキリスト教の教えを善いと考えていたし、それに従うのは正しいと考えていたが、信仰を告白するのは何か違うと思っていた。改めて思い返せば、復活を信じることができなかったのだと思う。愛を中心に置く考え方に賛同しても、それは規範であって信仰ではない。キリスト教文化への傾倒に過ぎない。復活を信じることにするというのは全く別の問題だ。
弟子たちは普通の人間だから、イエスの処刑と死に接して諦めただろう。復活を信じられるはずがない。共観福音書にはヤイロの娘の蘇生、ヨハネ伝にはラザロの蘇生の記事がある。ヤイロの娘の話は、死亡直後の話でもあり、稀ではあるが無い話ではない。ラザロの蘇生も処刑されたイエスの蘇生もありえない。しかし、弟子たちは死後40日の昇天前に復活のイエスにあったと言っている。強烈な体験である。どう考えても異常な事態だ。聖書記事も錯綜しているし、復活のイエスとの会い方にも個人差があったのかも知れない。見ただけではイエスとは分からなかったという記述は重い。
先週のトマスの経験は、触って信じたというものだった。ただ、トマスも見た目でイエスと認知できたかどうかは分からない。
改めて解釈すれば、やはりそれぞれの体験は違うものだったのだろう。昇天の記事の事実があったかも分からない。
弟子たちが復活のイエスに会ったという体験は、今の普通の信徒が感じたイエスとの出会いと違わないものかも知れない。決定的な違いは、生きていたイエスに長く接していたのに対し、私達は生前のイエスを知らないということだ。知っているイエスと死後再開したが、すぐには分からなかった。そして信じた。まあ、想像できるのは、ここまでが限界である。
「イエスとペトロ」の記事は、カトリックにおいては、ペトロの教皇としての正当性を証明する記事と言えるが、私には違和感がある。ヨハネ伝の位置づけから考えても、少々権力闘争の匂いがある。ペトロが有力な弟子の一人であったことを否定するものではないが、彼だけが特別だとは思えない。トマスにはトマスへの指示があり、パウロにはパウロへの指示があったのだろう。
イエスは誰にどういう形で来るかは分からないが、今もってその活動は続いているとしか考えられない。パウロに来たように、あるいは神父や牧師に来たように、あるいは私に来たように常識を覆す。復活を告白するというありえない変化を人にもたらすのだ。私は、今でも理性では復活を認めることはできないが、イエスが復活したことを信じて繰り返し告白している。個人の体験として、どうしてもイエスが復活したと思うことを止めることができないのだ。
イエスに出会ったと信じることで、他の誰が知らなくてもイエスに隠し事はできないと考えるようになった。守れなかった約束は山ほどあるし、ごまかしてしまったこともある。他人からどう言われようとも、イエスは真実を知っている。そう思えば、自分が正しいと思う道に関しては確信をもって進む力が得られる。それが楽しいものでなかったとしてもだ。
イエスは愛を説く。その声を聞こうとするほかはない。