続:訴訟期日が2022年4月19日となった

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訴訟期日が2022年4月19日となったの準備書面が届いた。司法の場で強制的に求めることになってしまったのは残念なことだが、漸く2020年6月7日に起きたことについて金井美彦氏の見解が示された。結果が出る前なので委細には触れないが、漸く文書化されたので、これから実際に何があったのかは明らかになっていくだろう。まず、双方の主張がどう食い違っていて、何が本質的な争点になるのかが分かって来るはずだ。きちんと向き合えば必ず事実に関する認識の一致は得られるはずだ。ついで、事実に対する解釈の違いが明確になり、双方の解釈の妥当性が法的に判定されることになる。もし、私の主張の妥当性が法的に否定されればそこをスタートラインとしてその先を考えることになる。逆も然りである。スタートラインがはっきりすれば、その先どうするかはその先のことだ。

それは法的な話とは別に、牧師と信徒の関係、信徒間の関係の問題となる。同時に教会総会をもって決める教会の意思をどうするかという問題でもある。もともと教会総会の決議に関する問題なのだから、本来金井美彦氏、佐分利正彦氏と私で決められることでも役員会でも決められることでもない。最初から隠し事など必要はなく、情報を正しく開示した上で、教会総会を行えばそれでよかったのだ。宗教としての問題としては、牧師を教会総会を越える権威と位置づけるか、教会総会を牧師の上位に位置づけるかという話になる。通常は、差異が出ても自然に一致に至る。ただ、一致に至らない時は、教会総会は牧師を解任する権限をもっている。砧教会は、以前牧師と会員の間で一致が得られなかった経験があり、その際は牧師が辞任している。そのトリガーになったのは会員の転出希望表明であったことが、砧教会50年史に書かれている。人間の集まりだから、政治的な動きが起きることは避けられない。権力側に不利な事実の非開示は正に政治的行為である。私は教会では決してあってはならないことだと考えている。今回、事実が明らかになったとしても、事実に基づく教会としての問題検討がなされるかどうかは予断を許さない。それは、政治問題である。政治力が発揮されると必ず副作用が生じる。空気を読んではいけないこともある。

昨日、訴訟の存在が教会内で公式に開示された。誰が提案した事かは分からない。開示されれば、当然結果も報告されることになるだろう。砧教会の運営が透明かつ清潔である状態であってほしい。プライバシーを除けば、隠し事などいらない。もし、膿が溜まっているなら、それはきちんと出さなければいけない。期せずして巻き込まれる人もいるかも知れないが、もしその人が責任ある立場にあるなら、政治ではなく真実に従って判断してもらいたい。訴訟の結果が出た後でも良いが、昨年9月に既に審議のための資料(公開版は砧教会2020年6月7日問題を再考するに掲載済み)は提出済みなのだから、今すぐにでも手をつけることはできる。検証のために必要な情報も私は開示を惜しむことはない。総会に出席していた会員に見て判断してもらえばよいだけの簡単なことだ。まず、自分の目で見て考えて誠実に事実を判断してもらいたい。教会役員は教会総会の役員選挙で会員に選ばれているのであって、牧師が任用しているわけではない。教会役員は教会員から選出されていることを忘れてはいけない。権力者や政治家ではなく仕えるものだ。真実一路であってほしい。私は正常化は可能でハッピーエンドを迎えることができると信じている。既に転出者は出てしまったのだ。重く受け止めてもらいたい。起きてしまったことは変えられなくても、未来は変えられる。

いずれにしても、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。事態が動き始めたことを心から喜んでいる。