ネット上の記事を見ている内に見ておいたほうが良いと考えるようになって、倍速で30分を使って本人スピーチ部分を見終わった。結論から言えば、学ぶべきこと、考えさせる内容が複数含まれていて参考になった。一見の価値は十分にあると思う。私とは世界観がかなり異なり、それがネックになってとても支持する気にはならないが、具体的な内容には好ましいと思われるものが少なくなかった。強行に見えるが、自分と異なる声も良く聞こえているのではないかと感じた。
プライマリーバランスにとりあえずこだわらないという姿勢は、見方によっては、アベノミクスでうった博打の負けの倍プッシュという危険な道だが、30年伸びが止まっているという現実を前にすれば、もう一度賭けに出るという選択肢はあるだろう。強くなりたい人の心を刺激するものがある。
一方で、エネルギー地産地消など分散化を指向した方針の設定は興味深い。適切なインフラ整備でより小さいエリアが切り離されても一定期間生存可能になると、分散系の強さが生まれる。安全保障上の視点だと、どこかを攻撃すれば全部が止まるということがないインターネット的なレジリエンス性が実現できる。一方で、エネルギー関連機器や薬品など中長期的な持続可能性を確保するには、大きなネットワークが機能しなければいけない。愛国者が望んでも何でも自前で進めようという道は足りないところは奪ってでも確保していくという戦争への道が待っているので現実的ではない。しかし、戦いを意識すると分散によるレジリエンスの重要性は自然と意識しないわけにはいかなくなる。現実に目を向けるとやるべき政策が思想を越えて同じ方向を向いていく可能性は十分にある。
倉本圭造氏は『(女性初)高知早苗総理誕生が十分ありえると考えられる3つの「スゴイ能力」』という記事で「政策理解の解像度が非常に高く、具体的で柔軟な議論ができそう」と書いている。この主張は結構的を射ているように思う。質疑のところは見ていないので、聞き書きになってしまうが、
自分が総務大臣だった時に、パスポートも運転免許証もマイナンバーカードも通称併記で出せるようにした。その他にも「通称使用において問題が起きるようなケース」を総務省として解決できる範囲のすべての法律を徹底的に洗い出して、1123件もの改正を行った。総理になったらそれをもっと徹底的に国レベルでやりたい
と高市氏は言ったらしい。夫婦別姓の議論はその一点を突破すれば、大本から制度は変わる。しかし、そちらから始めてもやはり1123件の具体的な制度変更を実施する必要があるだろうし、個別の問題を無視して新たに法律を作り直せば連続性が失われてしまう。敗戦や新たな独立のようなタイミングならやり直しが自然だが、良し悪しは別にして社会制度が確立している社会ではこれまで作ってきた制度は維持した上で、必要な改善を行っていくという保守的なアプローチは現実的な選択だ。
愛国心問題をひとまず棚上げしたとしても、そういう保守的なアプローチで誠実に未来を作っていこうと思えば、30年成長が止まってしまっている日本を動かすには、プライマリーバランスなどにこだわらず制度を育てないといけないという考え方はありだろう。政策理解の解像度が非常に高いのは優れた長所と言えるだろう。
一方で、30年成長が止まってしまっているという事実には別の解釈もある。環境が変わって保守的なアプローチではいくら金を積んでも輝きは戻らないとするものだ。象徴的なものは家制度と天皇制だろう。政府と国民の関係の見直しでもある。日本(家)があって国民(個人)があるという考え方を逆転させるべきだという考え方もありえる。現時点では非保守的な政治家で政策理解の解像度が非常に高い人は見当たらないので、現実的な問題に対処する時に具体的で柔軟な議論ができる可能性が低い。もし、そういう才能が存在しないのであれば、(選択的)夫婦別姓を推進するより、高市氏が進めたように夫婦同姓の制度は維持しつつ徹底的に不利を解消していくというアプローチは少なくとも短期的には効果的だろう。ただし、それは時代に適合しなくなった制度の延命措置にしか過ぎない可能性もある。
少し長い目で見れば、エネルギー地産地消などの分散化推進は、米国の青い州、赤い州間の移住のような時代を招くかも知れない。でも、私は国>民から民>国への価値の実現に向かわなければいわゆる失われた30年から脱することは出来ないのではないかと思っている。高市氏と互角に論戦できるような政治家が野党側に現れないと時代は変わらないかも知れない。もうシングルイシュー時代ではないのだろう。
日本、日本と連呼する彼女は私にとって不快な存在だが、彼女が何を主張しているのかは冷静に見ていきたいと思った。