私は中国の人も台湾の人もロシアの人もウクライナの人も幸せになってほしい

年28兆円の管理社会 移動や異論封殺、失敗許さぬ「理想郷」 大中国の時代 次なる危機③を引用したFacebook記事から加筆転載

「21年までに全ての住宅地と商業ビルに街頭カメラを置き、監視の目を広げた。20年の強盗事件は72件。ピークの00年から98%減と「ゼロ」が現実味を帯びてきた」はすごいことだと思う。上海は安全な都市と考えてよいだろう。
一方で、体制側による恣意的な情報利用が起きているのは耐え難いことだ。
私は不当利用のリスクがあるから、モニタリングを禁止しろという考え方には与したくない。安全が高まるなら総監視で良いが、そのデータが適切に管理されなければ困る。特に法執行機関への強い牽制が機能しないと自由が失われてしまう。
現実問題として、中国にはどんな選択肢が残っているのだろうか。
せっかく生活水準が上がってきて、技術力、競争力も持つことができた。なんだかんだ言っても中国の人たちは頑張って勝ち取ってきたもので、人々は幸せになって良いはずだと思う。競争に負けるのは悔しいが、私も素晴らしい中国製品の恩恵を受けたい。ここまでの習氏の貢献は大きいだろう。うまく行っている間は先制体制は効率的だ。
しかし、自由が失われれば現場から新しいものが生まれなくなってしまう。習氏にとっても残念なことだろう。彼にとっては不快かもしれないが、言論統制はやってはいけないと思う。ふと中国が「嘘はほぼリアルタイムでバレるが発信していけないことはない」といった言論空間ができるような環境整備と投資を行えば良いかも知れないと思った。
日本も、アメリカも、そういう技術を必要としていると思う。

***以下加筆***

豊かになった、地位や安定を得たと思うと人は慢心してしまう。それが人間の現実なのだろうが、嬉しくないなあ。
「狭き門から入れ」という教えを想起する。

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