「防衛省に告ぐ」を読んだ

私は、自衛隊は違憲だと思っている。しかし、自衛隊によって日本が守られているのは現実だと思っているし、今まで関わった自衛官の多くは立派な方で、好感を持っている。どういう国の形を目指すのかという点では現行の憲法9条を支持するが、現実的な驚異への対応は考えなければならない。

第一章は2001年9月11日の話から始まる。横須賀から退避する米軍空母の護衛の話で、軍の人は、あのテロの時に世界中の軍が瞬発的にリスク対応をしていたことがわかる。自衛隊は正規の任務として職務遂行をすることができず、調査研究で実施したことが記されている。自衛隊が実態は軍で、米軍は同盟軍という意識は明白で、法律とは乖離した状態にあることがよく分かる。結果的には空母がテロ対象となってはいなかったし、護衛していなくても何も起きなかっただろうが、軍事的には正しい判断がなされて、同盟軍との同盟関係を維持するに資する政治的に正しい行動が行われたと言って良いだろう。私の個人的な感想としては、香田氏も自衛隊もよくやったと思うが、法に従って解釈すれば自衛隊の暴走と言われてもしょうがないと思う。敗戦後、もう戦争だけはやめようと考えた人は多数派だったのだと思う。だから、非戦の誓いは受け入れられたと考えることもできるし、新憲法のことを真剣に考える心のゆとりがなかったと考えることもできる。現行の制度の中でどうやるか、現行の制度をどう見直すのが適切かの両面で継続的改善活動を行わないといけないと思う。

現行の制度の中でどうやるかを考えると、軍事のプロからの情報が判断する者に正しく伝わる必要があり、香田氏が指摘するように制服組の自衛官だから見えている現実に為政者も主権者も向き合うべきだろう。どの程度の危機の匂いがあるのかは現場から距離が開くと気がつくことができない。一方で、現場の声を聞くだけでは場当たり的な対応で大局的な視点を欠くことになる。医療の分野であっても、プロフェッショナルサービスのプロジェクトや運用サービスであっても、現場は破綻の予感に満ちている。現場の問題意識が判断者に適切に伝わらなければ止められる破綻が止められなくなる。一方で、投入できるリソースには常に限りがある。問題が起きているところに「一丸となって」などとリソース投入していたら、リソース不足で全体の健康を保つことができなくなる。健康体でなくなると同じリソースでできることがどんどん小さくなってくる。冷徹に一部を切り離す判断もしなければいけない。現行の制度をどう見直すかという視点に立てば、勝てる軍隊を持つことが適切か否かは簡単に答えられる問いではない。

現場は、ミッションがはっきりしていれば、それを達成するために働く。ただ、ゴールに届くだけのリソースがなければ走り切ることはできない。

第二章の『イージス・アショア問題が浮き彫りにした防衛省の独善』も第三章の『GDP比1%という呪縛』も現実に起きていることをわかりやすく伝えてくれている。背広組に悪意があると思わないが、現場から遠くなれば現実より見栄えに意識が行ってしまうのは世の常である。自国の話を置いておくとしても、強力な兵器をもっていれば勝てるというのは幻想だろう。実際、アメリカは明らかに強いが、勝てていない。もし戦争になったらイージス・アショアがあれば日本は大丈夫ということにならないし、弾の補給がない銃は、期限切れ消化器がくまなく配置されている街のようなものだ。継続的な維持プロセスが機能していないと、いざという時の役に立たない。政治家は道路を引くことに一生懸命になる。維持管理プロセスがセットになっていなければやがて事故の元になってしまう。第二章で財務省とのやり取りの話が出てくるのが興味深い。財務官僚はリソース配分を全体で見る使命があり、イージス艦当時は正常な機能が維持できていたように読める。スピード感が十分だったか、判断は適切だったかは私には評価できないが、現場の危機感はマネジメント層にも伝わっていたのは間違いないだろう。

ただ、第四章の『日本のガラパゴス型「文官統制」の罪』に進むと、これは危ないと感じさせられるようになった。最初に「現場を重視した安倍晋三元首相」で彼の現場重視の姿勢を高く評価しているが、実際に彼がやったのは、財務官僚が担うリソース配分最適化機能を捻じ曲げたことだ。現場の情報は重要だが、プロセスを飛ばして結論を出すようになれば、バランスは崩れ破綻に向かう。現在の閣議決定の乱発は、短期的に見栄えの良い政策は実施できるようになるかも知れないが、すでに破綻に向かっている組織を救うことはできない。決定権のある人が現場に行き、要望を実現すれば士気は上がるが、維持管理プロセスの伴わない決断に未来はない。自らを軍隊だと考える自衛官から見れば安倍氏は偉人だったかも知れないが、起きている問題の数々を見れば、日本の持続可能性を高めたとはとても言えない。

第五章『国会と自衛隊』での情報の目詰まりの指摘はもっともだと思う。香田氏の記述を読んでいると、いくら自衛隊が機密の塊だったとしても開示できる内容はあることは分かるし、判断に必要な情報が国会で共有されていないことも分かる。それがなぜかという議論は必要だと思う。諸国は直接的でなくても何らかの形でつながっている。遠い国のことは関係ないと考えることはできない。感染症問題も、地球温暖化問題も無視することはできない。第七章で香田氏は前文を引用して「まさに喜劇のような憲法だと言わざるを得ない。」と書いている。彼から見れば喜劇のようかも知れないが、私は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」の現実とのギャップは承知の上で、理想を追求すべきだと考えている。話の合わないやつがいても、排除せずに問題に立ち向かっていかなければ明るい未来はない。そういう国民も存在していることも香田氏には理解していただきたいと思う。私は、軍人の俺たちが守ってやっているという上から目線を感じると不快に思う。逆に、自衛隊の人の人権が十分に守られていない現実も問題だと思う。「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」は自衛官の権利でもある。不当な差別はあってはならないし、劣悪な労働環境は可能な限り改善されなければいけないと思う。

本を読んでいると、香田氏が日本を守り抜こうとしている気持ちは、ひしひしと伝わってくるし、軍が弱ければ主権を失うことになるという危機感も伝わってくる。そして、誠実な人柄も伝わってくる。現実への対処という意味では、耳を傾けないわけにはいかないが、書籍後半は読んでいて共感できる部分は多くはなかった。

今の日本で必要かつ持続可能な武力とは何か考えないといけないと思う。この先、経済力で威力を発揮できる日が来る可能性は低く、日本人だけで人口維持はできそうにない。私は、今の軍人には勝つための手法より、困難な撤退戦での取り得る策を教えてほしいと願う。金もなければ、若者も減るばかりだ。私は、EUの国々のように国家主権や自由な通貨発行権を放棄しても、周辺の国々と平和な共同体を作っていくしか道は無いのではないかと思っている。そのためには、かつての非行を心の底から反省できなければいけないと思う。変化を恐れてはいけない。私は、保守は亡国だと思っている。

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