『エストニアを知るための59章』再読

hagi に投稿

以前、国が独立するということをエストニアを例に学ぶという記事を書いたときに読んだ本を再読した。記事は、ほぼちょうど5年前の2019年10月で、それ以前の訪問は2回、滞在時間も通算で3日間。行ったのはタリンだけだった。とにかくやってみようと考えて、起業する前に最低限の情報を仕入れたくて読んだ本だ。そろそろ続編あるいは改定しても良い気がした。

コロナで出鼻をくじかれたが、その後2021年、2022年、2023年の11月は概ねタリンで過ごしている。2021年と2023年にはロシアの国境の街ナルバにも訪問した。その間にウクライナ侵攻が起きた。

画像

前の記事の表題にあるように、再独立した小国に対する関心は今も高い。日本も敗戦で一度は占領下にあったが、統治者が自由主義国(当時)だったことは幸いであった。

今年も11月はタリンで過ごす予定にしている。長期滞在も4回目となれば、そろそろ英語とTere!(こんにちは)だけで通すのではなく最低限のエストニア語を覚えようと思って勉強を続けている。『エストニアを知るための59章』のII.言語でも触れられているが、エストニア語はロシア語とも、ラトビア語、リトアニア語とも全く異なる相互に通じない言葉で、非常に敷居が高い。それでも、3年も通えばちゃんと勉強していなくても耳に馴染んでは来ていて、たまに意味が取れるときもある。でも、勉強し始めると日本語から直接勉強できる教材が皆無なので、英語でエストニア語を学ぶことになり、例えばhaveという動詞がなく、I have a penが、私(属格)is   ペンという表現を覚えなければいけない。構造が違うせいもあるのだろうが、英語を理解できない人は多い。

国とは何かというのは答えるのが難しい問いだ。想像の共同体という解釈もあるが、言葉が通じて、一定の価値観を共有できる(あるいは法が機能する)集団と言えないこともない。立法権と法執行が可能な仮想主体が国と考えると、国が独立するということは、自決権をもつということでもある。

エストニア語話者からすると、エストニア語を正文とする立法権と法執行権を持つことが独立を意味する。一方で、現在のエストニアにはロシア語話者も相当の割合でいて、多くのローカルWebサイトはエストニア語とロシア語のバイリンガルサイトとなっている。ロシア国境の街ナルバではロシア語のほうが多く話されているように感じる。エストニア語を話さない人はエストニア人とは言えないと主張する人が多くなれば、ロシア語話者はつらい。多様性を許容しない地域はやがて紛争が増え、格差が拡大し、人死が増える。短期的に強い国になったとしても持続性はない。かつての大日本帝國も現在のイスラエルやアメリカ、中国もやがて独立を失うことになるだろう。

規模がないと交渉力もなく、法執行力も得られない。生産活動に従事しない人を抱えなければ維持できないからだ。政治家も雇えなければ立法権も獲得できない。だから、妥協は必要になるし、利益誘導も起きる。それは国の大小によらずどこにでも起きることだ。往々にして大日本帝國幻想、あるいは東亜共栄圏のような権威主義的なポピュリズムの犠牲となる。国としてのエストニアもその脅威から逃れることはできない。それでも、新しい国家は、溜まってしまった垢は少ないのである。私は、そのコンテキストに望みをもっている。

国際社会を見ると、『エストニアを知るための59章』のP122の『スウェーデンのエストニア「亡命政府」』は存在した。諦めない人がいると、それを応援する人も現れる。世代を超えて、50年を超えて頑張る人がいなかったらエストニアの再独立は難しかっただろう。問題は、再独立を果たしたあとに排他性の罠に堕ちずにすむかどうかなのではないかと思う。

イスラエルは少し早い時期に再独立を果たした国だが、ネタニヤフをリーダーに選んでしまったことで、敵国人と自国民の双方の多くの命を奪うことになってしまった。歴史を国史と同一視してはいけない。

今年は、ぜひシニマエを訪問したいと思っている。

タグ
feedback
こちらに記入いただいた内容は執筆者のみに送られます。内容によっては、執筆者からメールにて連絡させていただきます。