2021/05/24 10:10

金井美彦様

 

ご返信、ありがとうございました。

私の意見が書かれるのが気に入らないのであれば、合意できた部分以外は一切書かないということにしてはいかがでしょうか

 

2021年5月22日に金井美彦と萩原高行は以下のように教会総会決議の取り扱いに関して理解が一致した。

1. 総会決議は教会の総意である

2. 牧師及び役員会は総会決議を尊重する。ただし従えないこともある

3. 牧師あるいは役員会が異なる判断を下した場合でも総会決議は有効で、無効化を含め決議内容を変更するためには新たな総会決議が必要である。

以上

 

これまでの会話の中で、ようやく「総会決議は教会の総意である」は合意にたどり着けたので、それが合意できるならと考えて、2の総会決議に牧師及び役員会が優越する表現を嫌々合意することにして文案を作りました。萩原が2を許容するためには、3の一致が不可欠です。

これまでの経緯で、金井美彦様は2が明記されない限り1に合意できない気持ちだと理解しています。言ってみれば、本当は「教会の総意である」は認めたくないが、「牧師及び役員会は総会決議と異なる判断をして良い」と言う意味の2が書かれていれば嫌々認めても良いと合意されたと理解しています。

3点が揃えば、金井美彦様と萩原の理解に関する合意が成立するけれど、どれか一つを落とせば合意が成立し得ないというのが現在の薄氷の一致です。

 

薄氷でも一致部分は固めて、次に進めたいと希望しています。

 

ちなみに、「聞き置く」というのは平たくいえば、「本来お前にそんな事を言う権利など無いが、俺は寛容だから言うのを止めないでおいてやる」という意味ですから、それを表明する時点で、自分が優越的地位にあるという宣言にほかなりません。強要すれば優越的地位の濫用になります。しばらく前に『「独裁者的被害を受けた」との言葉がありましたが、これはまったくの誤解です』と書かれましたが、その誤解を解こうと思われるなら、牧師という優越的地位の濫用が存在しなかったことを証明する必要があります。あるいは無自覚に行ってしまったことがあれば、それを認めて正せば良いと思います。「萩原さんの言う条件の2は決議の見直し手続きに関するものであり、総会決議取り扱い自体に直接関わらないので私は聞き置くに留めます」というメッセージは既にそれ自身がハラスメントです。合意内容以外で私が思うことを金井美彦様には止める権利はなくそれを牽制するのは支配関係を明確化しようとする行為にほかなりません。この一文は決して「細かいこと」ではありません。

「せっかくの意見の一致についての前段の文章と繋がらないように見えるからです」に関しては併記した金井美彦様の表現「総意とみなし」は厳密には1と反します。私は、それを承知の上で、金井美彦様の思いを尊重しています。金井美彦様は一貫して支配者の視点で議論を展開されておられます。

 

「意見の一致」には至っていないのです。「理解が一致」している点を確定させようとしている段階です。

 

価値観に差がある中で合意を得るということは、相手が違う思いがあるということを許容した上で、一致している範囲を決めることではないでしょうか?

意見の違いはあるのが当たり前で、ともに歩むために関係者が守るべきルールを探ってみながそれに従う、不備があればルールを修正していくというプロセスを回す以外の道はないと思います。

もし、意見を並べることを希望されるのであれば、「聞き置く」ではなく、ご自分の意見を明文化していただきたいと思います。

以前私は4として記述しましたが、それにふれずに3までで合意が可能と考えて本文からは外しました。

 

長文になり恐縮です。これからの行動規範として金井美彦様と萩原の間で共通の理解が得られれば、私は希望を持てます。

牧師が「総会決議は教会の総意である」と公言しないなら、私にはその牧師を牧師として認めることはできません。

公言したとしても、牧師が本心から「総会決議は教会の総意である」と思っていないなら、私はその牧師は独裁者の罠に落ちていると思います。ただ、心の中は誰にも見えません。後はその行為から想像する以外にありません。議事録の形で固定した総会決議と自分の意見が合わないようなことは牧師だろうと信徒だろうと少なからずあります。牧師が自分の責任で総会決議と異なる判断を行うのと、総会決議に対して自分が優越すると考えて判断するのは全く意味が異なります。後者で行われたことは、負の影響を感じる人にとっては優越的地位の濫用にあたります。無自覚な行為は避けられないのでゼロにはできないと思いますが、修正する行動がとられるかどうかで本心から思っているかそうでないかで評価されていくことになるのでしょう。

少なくとも今回の「聞き置く」は無自覚なハラスメントだと思っていますので、ここが双方のつまづきのきっかけにならなければ良いと思います。

ハラスメントは受けた側の心の問題ですから、それ自身には誤解の余地はありません。ただハラスメントを受けた側がなぜ受けたと思ったかという原因が事実誤認に基づいて起きることはありますから、事実確認を丁寧に行うことで解消できることはあります。ハラスメントを受けた側に取り組むエネルギーが残っていなければ解消することは叶いません。総会決議の取り扱いに関して理解の一致を固めた上で、私が金井牧師が総会決議違反を犯したと告発した事実は、その合意に即して冷静に分析できるようになります。意見の一致が得られる部分と得られない部分が生じるのは間違いないと思いますが、再び同じようなシーンが生じた時にどうすれば良いかを考えることは可能です。それが双方にとって許容範囲に収まるか否かで道は別れます。私は、共に歩む道があると信じたいです。

 

萩原高行

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