新生活166週目 - 「すべての民族を裁く」 神の裁きに耐えられるかどうかを思い悩むなとは言わないが、現実の社会で権力の犠牲者をどうやって減らすかを熱心に考えることを避けてはいけないと思う。 タグ キリスト教 新生活166週目 - 「すべての民族を裁く」 の続きを見る
Kumu kunstimuuseumi 今日は、最高気温が0度なので真冬日と言えるかは微妙だが、寒い中でも休日を楽しんでいる。 タグ Estonia キリスト教 ライフスタイル Kumu kunstimuuseumi の続きを見る
新生活165週目 - 『「タラントン」のたとえ』 現実の世界では、力のあるものに富が集中するように見えるので、この箇所には納得感があるが、釈然としないものもある。 タグ キリスト教 新生活165週目 - 『「タラントン」のたとえ』 の続きを見る
東京を出て2週間 日曜日に礼拝に通うようになれば、私の場合、とりあえずリズムはできてきたと考えてよいだろう。とはいえ、2週間の旅の疲れも溜まってきている。 タグ キリスト教 ライフスタイル 東京を出て2週間 の続きを見る
新生活164週目 - 『「十人のおとめ」のたとえ』 教訓としてはわかりやすい箇所だと思うけれど、勝ち負けの視点で見てしまうと、この次には5人の中で戦いが始まってしまうに違いないと思うのである。私は目を覚ましていなさいという言葉は、相対的、比較優劣的なメッセージであってはいけないように感じている。福音書記者の理解が書かれているのだろう。 タグ キリスト教 新生活164週目 - 『「十人のおとめ」のたとえ』 の続きを見る
新生活163週目 - 「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」 「人に見せるためである」というのは分かりやすいが、一歩踏み込むと、神と人との間に割り込むことを意味している。人が本当にやってはいけないのは、神と人との間に割り込んで、神に代わって人を分け隔てしてしまうことだと思う。自らにさばきを招く行為である。 タグ キリスト教 新生活163週目 - 「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」 の続きを見る
新生活162週目 - 「最も重要な掟」 私の好きな聖句のひとつである。今晩から、しばらく欧州出張のため時差の関係もあり砧教会の礼拝には恐らくオンラインでも参加できないが、遠いところにいても砧教会の正常化を祈り続ける。 タグ キリスト教 新生活162週目 - 「最も重要な掟」 の続きを見る
新生活160週目 - 『「婚宴」のたとえ』 祭司長や民の長老たちが糾弾されているのは自明だが、同じ構図が現代のキリスト教会でも成立してしまうケースはあるだろう。預かった権威を自己保有の権力と考えてしまうのは、人間の性質としてかなり根源的なものなのだと思う。目を覚ましていて、本物を追求し続けるしか無い。 タグ キリスト教 新生活160週目 - 『「婚宴」のたとえ』 の続きを見る
新生活159週目 - 『「ぶどう園と農夫」のたとえ』 「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」はマタイ伝だけに出てくる記述だが、この発言が本当にあったか否かでこの箇所の意味は大きく変わると思う。この記事では、本当にあったという視点で書いた。 タグ キリスト教 新生活159週目 - 『「ぶどう園と農夫」のたとえ』 の続きを見る