過去を捨てて裸一貫でリスタートしようとしたら思いのほか壁が高かった

今年2月から、思う所があって、過去人脈に頼らずにパートタイムの仕事を探し始めた。職安/ハローワークに通って、応募を繰り返したが、選択18件中決まったのは2件だ。しかもお祈りメールさえない無視が5件。現実の厳しさを思い知った。面接の感触がすごく良かったのにお祈りメールをもらったケースも2件。まあ、60歳前の人がパート職に応募して来るのは想定外だろうし、使いにくいと思うのは当然である。しかし、そういうマイナス要素があっても、誠実に接すれば道は必ず開けるだろうと信じていた。甘い予想はほぼ全てはずれた。

自分の外から見えるプロフィールと今のコミュニケーション力だけでは食うに足る仕事を3か月で得ることはできない事を思い知った。ショックだった。しかし多分、本当は最初から分かっていたのだ。自分の裸の力は容易に通用しない事を。

お祈りメールの破壊力、人間の尊厳を傷つける事を実感した。お祈りメールに悪意は無いのが分かっていてもダメージは甚大である。私が受け取ったのは高々10通強だが、苦労している就活生が内定無しで100通を超えるお祈りメールを受け取ったらさぞかしつらいだろうと思う。ただ、中高年向けのお祈りメールと、若者が受け取るお祈りメールでは、その意味する所は異なる。若者には実績は無いが体力があり、中高年には実績はあるが未来への期待値は低い。新たに伸びていく可能性を評価しないのである。合理的だと思うと同時に、理不尽だと思う部分もある。

パート職を与えていただいた会社からは、5月からやっとリハーサル的業務が始まり、一定の報酬と評価をいただいた。時間が短いので、その収入は少ない。しかし、本当にありがたく思う。高校生の頃にバイトで初めてお金を頂いた時の感動に近いものがある。

経営している会社の方もサービスに関する部分の受注の方向性を変えた。近しい人たちと協力して全体としてお客様に、社会に貢献できる道を探すようにする事にした。まだこれからどうなるかは分からないが、一定の手ごたえは感じている。

6月に入り、今年も半分が過ぎつつある。自分にしかできない事があるか否かはおいておくとして、自分が社会に貢献できる事は必ずあると信じている。会社も満5歳を超え、地に足のついた歩みをすすめ、個人としても20か月弱で迎える還暦を一つの区切りとして目指して、地に足のついた歩みをすすめたい。所謂サラリーマン人生を卒業して5年。人としても、経営者としても、挑戦の日々が続く。