ライフスタイル

ホテルとオフィス、あるいはコワーキングスペースの垣根はなくなるかも知れない

hagi2020/08/02(日) - 12:28 に投稿

不動産大手のCushman & Wakefieldが最強のホテルは再起のために戦略的な動きを行っている(THE STRONGEST HOTELS ARE STRATEGIZING FOR A SUCCESSFUL COMEBACK)という記事を書き、その中でアムステルダムのZOKUの動きを紹介している。ZOKUはコワーキングの発展形として紹介されることの多い、コワーキングスペース併設の滞在型ホテルで、私も宿泊したことはないが、複数回訪問している。アムステルダムは、ある意味で欧州のニューヨークというイメージがある。様々な国の人が登ってきて、そこで新たな人生を築き始める場所だ。ゲイが堂々と歩いていたり、公営の売春が行われていたり、麻薬規制がゆるいなど、自由が守られる印象が強い。

無観客試合、オンライン配信、Withコロナは物事の本質を問う

hagi2020/07/19(日) - 11:56 に投稿

Withコロナは物事の本質を問うと思う。スポーツあるいは興行としてのスポーツイベントの本質は何か、音楽あるいは興行としての音楽イベントの本質は何かが問われることになる。コワーキングのオンライン化も模索されたり、リモートワークが強いられると仕事あるいは執務の本質は何かが問われることになった。

ビジネスという観点に立てば、客がいて、商品・サービスの提供者が存在するだけだ。スポーツイベントを見たい、音楽イベントに行きたいという需要があって、供給があれば成立する。しかし、新型コロナによって人が集まることのリスクが明らかになって、イベントが実施できなくなった。需要があるのに、供給ができなくなった。ビジネスとしては死刑宣告が下ったのである。

ビジネスが死ぬと、商品・サービス提供者側には金が入ってこなくなる。選手にも、イベントの興行に関わる仕事をしている人にも金が回らない。では、提供者はどうすれば良いのか?一番、単純な方法は、リスクを承知で従来のビジネスを回そうとすることだろう。程度の差はあれ、リスク対策を考えない人はいない。リスクなくうまく行ける方法が見つけられるなら、それに越したことはない。駄目なら商売替えを模索することになる。

紙媒体の今後

hagi2020/07/18(土) - 00:01 に投稿

もう永らく言い尽くされて来た話題だが、COVID-19は改めて紙媒体の終わりをつきつけている。ついに印鑑を捨てろと迫り、契約「書」という紙を捨てろと主張する。私は、電子署名への移行は不可避だと考えているが、今提案されている多くの電子署名ソリューションはまがい物だと思っていて、長期持続性は感じない。一番のポイントは、リアルな社会の真似をデジタルでやろうとしているところにある。移行するなら、もう一度署名の本質を見直さなければ駄目だ。

一方で、紙媒体はリアルだから、そこに置いてあれば存在に気づく。Webを含むデジタル空間では、一度その情報を離れれば、よほどのことがない限り時間が経過してから再びその情報に接することはない。デジタル情報はそのままでは存在が希薄で、決してリアルな存在に勝てない。

私は、ほとんど本を買わなくなったが、今でも海外に飛ぶ時は、旅行ガイドは地球の歩き方をほぼ間違いなく買うし、もう新しいものは期待できないが、TRANSITは保存したりしている。今の若者には理解できない行動かもしれない。編集者や執筆者の思いに接する機会は、その人を知らなくても想像力を掻き立てる。自分の頭で考える意思が活性化されるのである。

有事の経営(経営者)

hagi2020/07/14(火) - 19:38 に投稿

振り返れば、社会に出てから、いつも有事だったと思う。

バブルもあった。9.11前のインターネットバブルもInternet 2.0もあった。関西でも、東北でも震災があって、何もできなかったというより、何もしなかった。リーマンショックがあり、マンハッタンではAF1が撮影飛行をしていたし、まさかの日本企業が海外から買収されたりした。

平時も有事も、見る人の見える世界でしか無い。ただ、新型コロナは恐らく80年代、90年代のWeb台頭と同等のインパクトがある。20年後に振り返った時にきっとそれがどういうことだったのが像を結ぶだろうと思う。もし、振り返ったら、だけど。

経営(経営者)は、仮設を立てて張っていくしか無い。行動を起こすまでに残された時間は意外と少ないような気がする。

写真は、2014年にヘルシンキからついたタリンのハーバー。

中国語の違和感喪失あるいはFactfullness

hagi2020/06/21(日) - 18:13 に投稿

私は谷中界隈に住んでいるが、今日よみせ通りを歩いていた時に親子で中国語の会話があった。

ふと思い起こすと10年ほど前は、観光客はともかく住人はなんとなくひそひそ話状態だった気がする。今、コロナ禍でストレス下にあるのに、屈託なく中国語で話す親子の会話を耳にして、ああ、世の中は良くなっているのだなあと思ったのであった。

いわれなき(物理的でないものを含む)暴力は、なんだかんだ言っても減っているのだろう。それは、逆に言えば、特別な配慮が失われることでもある。改めて第三号被保険者の事を思った。恐らく、廃止されないといけないのだが、依然として日本には家長制度が残っているので単純に廃止すれば悲惨が待っている。

まず、保守政党を駆逐しなければ未来はないのかも知れないと思ったのであった。

コワーキングスペースは今後増えるのか?

hagi2020/06/18(木) - 16:53 に投稿

今日、「ウェブ座談会「リアルの場の価値再考」シリーズ 第2回:コワーキングスペース編」を聴講させていただいた。中々面白かった。最初に、もうコワーキングスペースは(私には)いらないという意味の刺激的な発言が出て、後刻(郊外型)コワーキングスペースは増えるだろうというコンセンサスがあった。

コロナ禍で発見したこと

hagi2020/06/14(日) - 12:30 に投稿

先週、自教会の牧師が会堂から説教をやった。2ヶ月強前にオンライン礼拝を始めてから最初の経験だった。

6月7日はもともと会堂礼拝を再開する予定だったこともあり、奏楽も入ったし、わずかながら会衆も入った礼拝だった。人によって感想は違うだろうが、リモート参加の私にとってはそれまでのオンライン礼拝と全く異なるものだった。会堂で会衆が入っていれば、どうしてもそちらを見て話す。それまでは、PCの画面を見ながら、オンライン参加者を相手に説教しているから、こちらを向いていると感じたが、先週は会堂でやっている礼拝をTVで視聴しているという感触を禁じ得なかった。

今日は思うところがあって、他教会のオンライン礼拝を視聴した。Facebook LIVEで主日礼拝に参加したのだが、会堂で礼拝が行われているのを配信しているのでやはり体験としては参加というより視聴に近い。向き合う関係にはなく、遠くの景色を見せられているだけなのだ。もちろん、説教は説教で、メッセージは届いてくるし礼拝に参加したといってもおかしいとは思わないが、やはり外から見ている感抜群である。

住所ってなんだろう

hagi2020/06/10(水) - 10:45 に投稿

住所ってなんだろう、何のため、誰のためのものなのだろう。

今日Qiitaのメール経由で「日本の住所の正規化に本気で取り組んでみたら大変すぎて鼻血が出た。」という記事を読んだ。

Geocodingは住所から位置(Location)を特定する技術だ。緯度経度も大地震があると1m程度動いたりするので、長屋レベルになると地震前の緯度経度が地震後はとなりの家を指している事はある。もう少し長い目で見れば、プレートが動いているので気が付かないうちに自分の住んでいる家も動いている。モニタリングの精度が上がれば上がったなりの悩みが生じる。何が言いたいかと言うと、郵便システムとして何かをどこかに届けたいと考えた時に、Geolocationは決定打にならないという事だ。郵便システムでの宛先は、住人あるいは住所であって位置ではないのである。

一人ひとりがデジタル時代に存在するということ

hagi2020/04/23(木) - 09:57 に投稿

COVID-19の影響で、対面でのコミュニケーションはとてもコストの高いイベントと認識されるようになった。一定の時間を経て、ある程度元の社会に戻っていくだろうが、その過程で大量の倒産と失業者がでるのは避けられないだろう。大半は、再就職という選択肢を指向するだろうが、従来の通勤型の就労のかなりがリモート職に変わる。また、失業しなかった労働者の中にもリモート職に変わる人は多いだろう。恐らく、今後は全体の2割を軽く超えるのではないかと予想しているが、信頼に足る統計情報は見つけられていない。

対面のコストが高くなると、(企業の従業員としてではなく)個人としてデジタル・プレゼンスを持つのが得策になると思う。

良くも悪くも、このデジタル時代にGoogle、Apple、Microsoft、Amazon、Facebook、Twitterと縁を切るのは難しい。そして、どうしても一つ選ばなければならないとすれば、私はGoogleを選ぶ。そして、既存プレーヤーとのビジネスを無視できなければ、Microsoftも捨てがたい。他のプレーヤーも捨てがたいが、私がどうしても捨てられないと思うのは、その2社だ。ロートルだから時代遅れかも知れないが、私にとっての現実である。