高架橋崩落事故からシステム更改と維持管理について考える

先週イタリアはジェノバで高架橋崩落が起き、30人以上の方が亡くなった。このニュースを見て2012年に起きた笹子トンネル事故を思い出した。今年の3月に業務上過失致死傷容疑は不起訴になって一連の捜査は終結したとのことである。

モランディ橋は1967年竣工で約50年間、幹線道路を支えてきた。当初の設計に問題があったとする説もあるが、50年普通に使えてきたのだから、今後も使えるに違いないと思うのは当たり前の感覚だろう。しかし、過去5年間で5件高架橋の事故が起きている。イタリアの財政はかなり苦しい状況なので、維持管理強化も容易ではない。それでも手を入れないと、さらに事故が起き、安心して移動することもできない地域になってしまう。

インフラの維持管理は、それ自身では新たな価値を生まない。また、法的な耐用年数は、日本では橋梁で60年、トンネルで75年。つまり、60年で架けなおし、75年で再整備が必要な制度設計になっている。新たに橋を架けるのは、新たな利便性を訴求できるが、架かっている橋を架けなおすのは新たな付加価値を生まない。政治家にとっては、ちっとも嬉しくない話だが、行政から見たら、橋を落とさない責任は重い。維持管理に金を使うか、廃止に向けた手を打つしかない。税収が足りなくなれば、廃止するしか選択肢は無くなるのである。

ICTの世界でも維持管理は非常に重いテーマである。新たにシステムを作る時には新たな利益が期待できるが、システム更改ではしばしば「要件は現行通り」でできるだけ安くあげて欲しいという話になる。SIの世界では「要件は現行通り」は鬼門である。橋の世界でも交通量が変わったり、実際には「要件は現行通り」という事はあまり無いだろうが、システムの場合は稼働後にほぼ100%機能追加が行われ、よほど良い設計でない限り、改修時には基本構造にも歪みが生じている。セキュリティ要件や、個人情報保護などとりまく環境も5年も経過すれば変わってしまう。

減価償却の制度はある程度機能していて、開発したシステムを資産計上して、5年かけて5分の1を経費として計上する。予算計画上は、5年後に同一額を投じてシステム更改ができれば、年次の経費額は同額になる制度である。ただ、「要件は現行通り」で再構築すると、システムの規模は5年前のシステム規模よりは大きくなり、生産性の伸びがシステム規模の伸びを越えていないと、同一金額でシステム更改を行うことはできない。実際には、スマホへの対応など機能は同じでもUI/UXは環境変化への対応は避けられない。深く考えずに再構築すれば、ビジネス的な機能は足していないのに構築費用は数倍になるといったケースは珍しくない。

機能は同じ、金額も同じなら、時代適応を捨てるしかない。公共機関のシステムが時代適応できないのは、行政側には「要件は現行通り」を満たす以外の選択肢はなく、政治側が時代変化への対応という今とは違う未来に向けた判断をやれていないケースが多いためだ。企業のシステムでも同じで、システム部門は行政側の役割を担い、ビジネス部門が市場の状況を読み、競合との比較優位を確保するために何をやるか、何を捨てるかを考えて判断しないといけないのである。良く、営業部門の人がシステム部門はビジネスが分かっていないとdisるシーンを見るが、実は営業部門あるいは経営企画部門がビジネス構造変化に対して明確な指示が出せていない事に気がついていないのと同義、天に唾を吐いているようなものだ。捨てるものをきちんと捨てて、次の5年で何が起きるのかを考え、金の使い方を考えないといけない。

ビジネス構造変化を考えるという事は、リスクを考える事でもある。

システムのバックエンド側で考えると、一番大きな環境変化はクラウドサービスだろう。規模の経済で考えるとAmazon、Google、Microsoftが提供するクラウドにはサービスの内容でも価格でもオンプレでは容易に対抗できない。一方で、もし(他国の)他社に依存してしまえば、もし何らかの意地悪をされてしまえば自社のビジネスが継続できなくなるリスクもある。しかし、軍門に下らなければコスト競争力を失って、自社の敗退に繋がるリスクもある。

個別の企業は、自社の置かれている環境を考慮して判断しなければいけない。

手にいれる事のできるサービスについて適切な情報を収集し、自社のビジネスの未来とかけあわせて、「要件は現行通り」の罠に陥ることなく、ビジネスインフラの更改を行うしかないのだと思う。

新たなものを作る時には光が当たるが、更改の時に何を捨てるのかに光が当たることは無い。しかし、大事にしなければ道を誤る。何でも古いものを守ろうとすれば全てを失う事になる。

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