マイナンバーカードとエストニアのデジタルIDカード

今日、最近エストニアを訪問した旧知の先輩と話す機会があった。

エストニアのデジタルIDカードには、氏名、有効期限、ドキュメント番号とパーソナルコードが書かれている。
マイナンバーカードには、氏名、住所、性別、生年月日、有効期限、個人番号が書かれている。

住所、性別、生年月日が読めるマイナンバーカードを持ち歩くのは嫌だ。目隠しされているのは、性別と個人番号で、プライバシーに関わる住所、生年月日はマスクもされていない。一方、エストニアのデジタルIDカードには、そういう情報は最初から入っていなくて、逆にパーソナルコードはオープンである。パーソナルコードから、生年月日も住所も(本人等権利者を除いて)検索はできない。

エストニアのX-Roadシステムでは、APIが用意されていて、パーソナルコードをキーに生年月日を検索せずに、投票可能(年齢)かとか、市内に住所を持っているかといったYes/No検索ができる。確かに、ちょっと考えれば、生年月日が必要なのではなく、今日、酒を売っても良いかどうかがわかれば良いのであって、生年月日が必要なわけではない。必要のない情報を他人が読めない設計の方がずっと良い。

エストニアは、今の国家形態になったのは1991年、130万人強の新しくて小さい国だから、思い切ったことができる。振り返ればアメリカだってそうなのだ。明治の日本も、戦後の日本もそうだ。ナショナリズムは伝統を強調するが、スクラップビルドも重要なのだと改めて思わされた。

今年は、e-taxは、マイナンバーカードログインが標準になった。なんとかして、普及を図る政府の気持ちもわかるし、確かに改善はされている。しかし、根本的に日本は、国>民の原則の国である。それ自身が憲法違反だと私は思っている。住基カードからマイナンバーカードにバージョンアップしたが、もう一度やり直したほうが良い。民>国へ向かわなければ、少子化問題も解決しないし、経済低迷は終わらないと私は思う。

民の暮らしを支えるために国があるのであって、国がなくても民はある。ところが、民は自分の自由を積極的に王に無償供与しようとする傾向がある。大変、悲しい話である。