コワーキングスペースでは、コミュニティという言葉が大きな意味を持つ。
Co-workingと書くと、語感として複数の企業等が同じ場所で働くという意味になり、シェアオフィス的なイメージとなる。Coworkingと書くと、異なる仕事をする人が同じ場所で働くという点では同じだが、そこにCommunityが存在しているという意味を含む。最近は、それが紛らわしいので、CoworkingをCommunity coworkingあるいはCommunity co-workingと書こうと言う人がいる。私は、Community coworkingという表現は良いと思う。
コワーキングスペース(Community coworking space)には基本的にコミュニティマネジャーがいる。コミュニティに責任を持つ人という意味だ。機能のマネジメントではなく、コミュニティのマネジメントを行うという考え方だ。Co-working spaceにはコミュニティマネジャーは必要ない。無人管理でも良いのだ。
このコミュニティという言葉が非常にやっかいだ。
企業の従業員がワークプレースを利用する際にコミュニティなど必要ない、話しかけられたら迷惑だ、という主張がある。至極もっともだと思う。ところが、ワークプレースに限らず、人が集う場所は、設備だけではなくその利用者とその行動で場が形成される。例えば、パブで差別的な会話が聞こえたら、いたたまれなくなって出ていく人もいるだろうし、定常化すればそういう行為を許容する人だけが集まる場所に変わって行くだろう。利用者の行動は設備要件とは異なる非機能要件である。
自発的な規範が成立しているワークプレースはメンバー間の会話の有無に関わりなくコミュニティ(共同体)が成立していると言える。利用者はコミュニティの規範を守っているのである。それを明文化すると行動規範(Code of conduct)となる。
昔からのコワーキングスペースには、多様性の尊重(排他性の忌避)に価値をおくところがある。多様性の許容と言っても限界があって、一定の規範を守れない人の利用を許すとコミュニティが崩壊してしまう。入会面接等を設け会員制にする方法で場を守ってきたスペースもある。それに対して、排他的だと非難する声もあるが、教条主義的な多様性の尊重は機能しない。人の気持ちには許容範囲があるのだ。コミュニティマネジャーが機能すれば、そのワークプレースが居心地の良い場になる。コミュニティマネジャーは、空気のような存在かも知れないが、機能的な整備と同等か、あるいはより重要なワークプレースの構成要素である。
「企業の従業員がワークプレースを利用する際にコミュニティなど必要ない」という考え方と同時にWeWorkなどのハイエンドのすごい人たちが集まっている所に自分たちも参加すればイノベーションが生まれ事業に資するのではないかと考える考え方もある。私の認識では、それもコミュニティで、Co-workingではなくCoworking/Community coworkingである。そのコミュニティにはそのコミュニティの規範があり、その規範に基づいてCoworkするのだ。当然、コミュニティマネジャーは必要となる。彼または彼女はファシリテーターと呼ばれるかも知れないが、ワークプレースとして考えた時は、彼あるいは彼女はコミュニティマネジャーで、そのワークプレースに属する重要な構成要素となる。
コミュニティという言葉には、互いに会話する仲良しクラブのようなイメージがつきまとう。なかなか厄介な言葉だ。