Coworking

コワーキング

Communityという言葉

コワーキングスペースでは、コミュニティという言葉が大きな意味を持つ。

Co-workingと書くと、語感として複数の企業等が同じ場所で働くという意味になり、シェアオフィス的なイメージとなる。Coworkingと書くと、異なる仕事をする人が同じ場所で働くという点では同じだが、そこにCommunityが存在しているという意味を含む。最近は、それが紛らわしいので、CoworkingをCommunity coworkingあるいはCommunity co-workingと書こうと言う人がいる。私は、Community coworkingという表現は良いと思う。

コワーキングスペース(Community coworking space)には基本的にコミュニティマネジャーがいる。コミュニティに責任を持つ人という意味だ。機能のマネジメントではなく、コミュニティのマネジメントを行うという考え方だ。Co-working spaceにはコミュニティマネジャーは必要ない。無人管理でも良いのだ。

このコミュニティという言葉が非常にやっかいだ。

hagi 2019/05/09(木) - 13:04
タグ

アクセシビリティへの配慮は恩恵を伴う

hagi2019/04/19(金) - 21:46 に投稿

今回の米国出張で、DrupalConではブラウザの音声読み上げの事例を見て、いかに見た目がスマートなアプリでもアクセシビリティの配慮がないと難視の人には使えないだけでなく、Alexaのようなスマートスピーカーと組み合わせて使えないだろうこともわかった。マウスを使わずにキーボードだけで利用できる実装にすると、ナビゲーションのステップを減らし可用性を上げられる事にも気がついた。アクセシビリティへの配慮は手間のかかる作業と見るのではなく、ソフトウェアの操作性を向上させるためのチェックポイントと考えたほうが良いことがわかったのである。

コワーキングカンファレンスジャパン2018で発表した

hagi2018/12/15(土) - 19:38 に投稿

コワーキングは言葉として、かなり市民権を得ていると思う。恐らくビジネスパーソンの2割程度は、コワーキングという言葉を知っているのではないかと思っている。コワーキングの時代が来ると5年前に確信してから、思いの外時間がかかったが、やはり間違ってはいなかったと思う。風が吹いてくると、怪しげな仕切り屋が跋扈するようになる。腹立たしいことだし、違うことは違うと言わなければ、扇動家に悪意はなくても惑わされてみんな地獄行きになってしまうリスクがある。それでも、そういう怪しげな奴が活躍しなければ、キャズムは超えられない。人それぞれ、活躍の場があり、好き嫌いは誰にでもある。コワーキングの世界は、給料をもらう支配・被支配の関係のないコミュニティである。だから、日々傍目から見ればつまらない争いがおき、コワーキングスペースのオーナーは、その問題に正面から向き合わねばならない。嫌なら、どちらからでも縁が切れるので、声も拳も上げなくても、それはそれはドロドロした(美しい)世界でもある。自分の本性が試されるのである。私は、自分の本性の未熟さに日々(今日も)打ちのめされているが、しかし、そういう自分に向き合ってやれることをやる以外に出口などありはしない。だから、適切な範囲で、包摂的(Inclusive)でなければ持続性はないのだ。

タグ

「街を間取りとして考える」あるいはABL(Activity Based Living)

hagi2018/12/14(金) - 23:03 に投稿

佐々木典士さんと言う方が、「街を間取りとして考える」という言葉を発したという話を聞いて、衝撃を受けた。私はミニマリストではないが、移動の時の荷物は小さい。この北九州出張では、いつもの軽量バック。冬の欧州2週間でも機内持ち込みだけで隙間が残る。

タグ

Co-Community

hagi2018/10/23(火) - 15:52 に投稿

Open SocialというDrupalのディストリビューションがある。そのプロモーション記事に10 Steps for your first year of community buildingがあって、その中にCo-Communityという単語が出てくる。この単語が、突然私の想像力を掻き立てた。

コミュニティは、様々である。Drupalはオープンソースで、その周辺に様々なプロジェクト、コミュニティが存在している。日本のDrupalのコミュニティには醜い覇権争いの歴史がある。同じDrupal好きでも、主導権を取らなければ気に入らなくて自由なコミュニティが育ってくると排斥しようとする力が働いたりするらしい。私は、直接的な被害にあったことはないので、それほど嫌な気持ちになるわけではないが、COREの翻訳作業など、公式となるか否かの判断がうまく機能しないとコミュニティそのものの成長を阻害してしまう。

テレワーク、リモートワーク、デジタルノマド

hagi2018/05/08(火) - 08:06 に投稿

米国の1 Million for Work Flexibilityという団体が、Remote Work or Telecommute: What’s the Differenceという記事を昨年7月に発表した。邦訳すれば、「リモートワークとテレワークはどう違うのか?」とするのが適当だろう。Telecommuteは在宅勤務と訳すのが一般的だが、コワーキングスペース等の台頭で、Work from homeを在宅勤務と訳し、Telecommuteをオフィスへの通勤距離以内での在宅勤務やコワーキングスペースの勤務とより緩い基準で考えるのが適当になってきたとしている。一方、リモートワークは、通勤圏外に住んで働く働き方と位置付けている。この記事には無いが、さらに一所に留まらずに移動しながら働く働き方をデジタルノマドと言えば良いのだろう。

米国の多様性と欧州の多様性、そして…

hagi2018/04/30(月) - 14:01 に投稿

GCUCのアンカンファレンスで多様性の議論があった。

アメリカには内なる多様性がある事に気がつかされた。アメリカは一つの国なのだが、移民の国だからすぐそばにいろいろな人が存在する。その結果、様々な法的な規制があって、基本的にはその人がどんな属性を持っているかで差別してはいけない仕組みがたくさんできている。

欧州の場合は、どちらかと言えば越境者に対する差別が問題となる。米国の場合はもはや戻る国が無い人が多いのに対して、どこか戻る国がある事が前提になっている感じがする。同時に欧州市民という制度があって域内の居住の自由、就労の自由が保証されている。LGBTの話では、オランダが進んでいるという印象があるが、ブランド化してEU域内から住みやすさを求めて移住してくる人を引き寄せている感じがする。

今年のGCUCは一味違った

hagi2018/04/24(火) - 07:13 に投稿

GCUCの本セッションが本日2018年4月23日より開催されている。

GCUC創始者のLizは冒頭の挨拶で最も大事なリソースは時間ではない、健康であると言い切った。最初の講演こそCarstenさん定番のGlobal Coworking Survayからの発表だったが、次のセッションがHEALTH IS THE NEW BLACK。このBlackは黒字源と訳して良いと思う。Lizが言っている健康はWellnessで「身体的、精神的、そして社会的に健康で安心な状態」を指す。身体的な健康だけではなく、精神的かつ社会的健康で安心な状態という意味を込めていて、今日のカンファレンスのテーマはほぼ全てそのメッセージを受けた発表になっている。私が出始めてからのGCUCでテーマを明確にした回は初めてで、どう見ても異例である。Lizは恐らくかなり意識的に流れを変えようとしているように見える。