BCP - Business Continuity Plan - 事業継続計画は、何らかの災害等の事象が発生した時に事業を継続する計画のことを指す。今回の新型コロナウィルスのエピデミックは、このBCPが問われる事態となっている。
私が、BCPを強く意識したのは2009年から2010年にかけて豚インフルエンザが前パンデミック期に入ったときの事である。ちょうどアメリカに赴任していた時で東京と頻繁に往復していたが、Swine Fluという見出しが現地の新聞やNewsであふれていた。その後2011年の大震災で、BCP対応は公共交通機関の停止と放射能汚染に対する対策が話題となった。外資系企業の中には、あっという間に大阪に第2本社を立ち上げ、機能を維持しようとしたところもあったし、根性でカバーしようとした大きな日本の会社もたくさんあった。
BCPを考える時に極めて重要な選択は、企業の存続か、従業員の命かに関する優先順位の設定である。よくよく考えていくと、従業員の命を優先しない選択肢はありえないのだが、これが管理者にとっては中々難しい決断なのだ。ソフトウェアの大規模プロジェクトでは、極稀ではあるが、自殺者が出ることがあるし、それに至らなくても深刻なうつ病を発症させてしまうことがある。別に管理者が人非人なわけではなく、もうちょっと頑張れば何とかなると思って、頑張らせたら、実はもうちょっと頑張らせてしまえば壊してしまう状況であることを気づけなかったという話がほとんどだ。
今回のダイヤモンド・プリンセス号の検疫の失敗は、失敗プロジェクトとよく似ている。客観的に見れば、どう見ても失敗していて、実際に人死を出してしまい、さらにクラスターの連鎖を許容する政治判断を行ったとしか思えない悲惨さである。しかも、トップがここに及んでも失敗を認めない。もう、従業員(厚労省公務員等)の命はもとより、企業(国家)の存続も最優先ではなく、管理者の保身が最優先になっている。今後、変化があることを期待したいが、常識的に考えればアウト、レッドカード退場だ。
一方、軍事に関わる人は結構ドライに考える。軍事は、人死はゼロにはならないという前提で考えるので、リソースの減耗を最小に抑えながら、目標を達成することを考える。それは防衛かも知れないし、侵略かも知れない。そのコンテクストで考えれば、医療従事者も手駒に過ぎない。個々の死は関係なく、結果として目標を達成することを考えることになる。目標が何かは政府は言っていない。天皇一人を守ろうとしているのか、国民の被害者を最小化することなのかについても言及していない。もちろん、人それぞれ考え方は違うので、掲げる目標も万民に合意を得ることはできない。
民間企業や大半の現場組織はもう少し単純である。はっきり言えば、給料が払えるだけ儲けることが前提にあって、その儲けのためのお金を払ってくれるお客様に仮に縮退したとしても満足を提供することが問題となる。仕事はいろいろな人が関わって形になっていくケースがほとんどなので、従業員は自分の役割を果たすことが大事となる。
BCPは様々な制約が課せられた時に自分の役割を果たし切る計画の立案にほかならない。平時とは同じことはできないのだから、優先順位に応じてどうしても担わなければいけない役割をできる範囲で果たしていくことになる。組織全体として、どうしても実施されなければいけない役割が普段になっている人が担えなくなった場合にどう代替していくかを計画していくことでもある。
BCPを考える時に一番困るのは、自分の果たすべき役割を理解できていないケースである。非常に単純化すると、自分の使命は朝9時にオフィスに出社することだと考えている人が一番困る。とにかく会社に出て、上司の指示か普段やっていることをただただこなしていくわけで、全く自己管理ができていない状況にある。こういう人をそのままの状態で在宅勤務させてもほとんど役に立たない。
逆に、自分が達成しなければいけない「ゴール」が分かっている人は、そのゴールを達成するためにどうすれば良いかを考える。もちろん、独りよがりでは困るが、そのゴールが本来果たすべき役割と一致していれば、それを目指せばよい。それでも、例えば出社できないという制約がかかると、そのゴールが達成できなくなることがある。また、ある同僚が感染してしまったら全体として果たすべき役割を果たせなくなることがある。そこから先は工夫してやることになるわけで、管理者は達成可能なゴールの再設定が仕事となり、個々の従業員の役割の組み換えが問題となる。また実際のリーダーは職責上の上長であるとは限らない。結果としてやることができれば事業は継続可能になるし、そうでなければ継続不可能、場合によっては倒産となる。
ABWは実は常時BCPの一部と言うことができる。ABWはその人が果たすべき役割をアクティビティという業務タスクに分割する考え方だからだ。言い換えれば、それらのアクティビティさえ実行できればゴールは達成できるわけだから、それぞれのアクティビティが効率よく実行できる時間や場所を選んでやればよいのだという考え方である。
アクティビティには大雑把な種類(クラス)があり、「個人で行う集中業務」とか、「特定の設備を必要とする作業」=例えば個人情報保護法の制約を満たす作業場所でないと実施できない作業とかがある。面倒でも、この分析をやって自分の今の使命を理解しておくことで、合理的な判断につなげようとする。
パンデミックのような制約に関わらず、育児や介護など人々はみな様々な制約条件を課せられている。実際にABWを使いこなしているのは、そういった制約の下で働き続けたいと考えている人が多い。その制約の中で、自分の果たすべき役割を果たせなければ仕事を失うという危機感があり、朝9時にオフィスに出社すれば良いと考えている人とは、全く視点が違うのである。
朝9時にオフィスに出社すれば良いと考えている人が、多少器用で出世して管理者になるとABW型の従業員は大変不幸になる。ABW型の人は、できるだけ短く合理的に自分の果たすべき役割を果たそうとするのだが、もし8時間の仕事を3時間で終えたら、従来型の管理者は、それを3/8にしか評価しない。
ABWがうまく機能している組織は、BCP立案は容易になる。とは言え、実際にはABWだけでは足りない。どんな災害が起きるかを普段想像することはできないし、BCPが機能するためには訓練もいる。軍事組織はそういった部分が強い。不断にリスクを分析し、それに対応するための訓練をたくさん積むからだ。それは直接生産に従事しなくても予算がついているからできていることである。一般の組織では、リスク対応に投じられる予算もリソースも限られている。そのバランスをどう取っていくかが経営の質につながる。
今回の災厄は、不幸なことだが、これを機に各組織は、ABW指向に舵を切ったら良いと思う。出退勤をきちんと守れることは立派なことだと思っているが、もはや軍隊のような上意下達型の組織が強さを発揮できる時代は過ぎ去ろうとしている。テレワークは、非常に良いきっかけを提供する。この災厄を超えて、日本の多くの企業が一皮むけて新たな成長につながっていくことに期待したい。