オフィスワークとリモートワークのマネジメントは同じなのか違うのか

hagi に投稿

リモートワークが「これまでのマネジメントの手抜き」を明らかにするという主張がある。私も、一時そう考えていたが、最近はちょっと考え方が変わってきている。

マネジメントをリーダーシップと絡めて述べている場合は、人の能力を引き出すのがマネジメントの重要部分を占める。一方、仕事の成果を極大化する視点で述べている場合は、人の統制は二義的な位置づけに下がる。もちろん、人の能力をうまく引き出せるに越したことは無いが、自分の部下に仕事をさせずにアウトソースして成果を極大化するのもマネジメントの選択肢である。

Leesmanの21のABW分類の5つの大分類は個人作業、共同作業、公式会議、会話、その他となっている。ひとまずその他は置いておくとして、リモートワークで機能しやすいのは個人作業の部分で、共同作業、公式会議はオフィスワークというワークスタイルの方に利がある。会話は互角である。

個人作業に関しては、本来いつ実施するかもどこで実施するかもあまり重要ではない。また、オフィスは割り込みが入りやすく、集中力が途切れやすいので、環境が整っていればリモートワークの方が生産性が高められる可能性が高い。オフィスでABWを適用する場合は、集中スペースを準備することで、オフィス内でも個人作業の効率を向上させることができる。働き手が同じ時間帯に一箇所に集まることが可能で、上手にオフィスをデザインできれば、オフィスを用いるワークスタイルは、リモートワークに負けることは無いだろう。

一方、働き手が同時に一箇所に集まるというコストは無視できない。コロナ禍の時期であれば、ある意味で生命を賭けて出勤しているわけだから、冷静に考えれば従業員を出社させる働き方を選択するということはそれ自身が人命を安く見ているということになる。人命重視の視点から見れば、滅私奉公で意気高く出社させるリーダーシップは、本来称賛されてはいけないものだ。

オフィスワークはこれまでの常識的なワークスタイルだったため、同じ時間帯に一箇所に集まることができない人を例外扱いとしてきた。それを例外扱いとすることで捨象し、その条件下で最大の効率を目指してさまざまなマネジメント手法が確立されてきた。もちろん、個差はあるが、マネジメントは機能していたのである。手抜きでもない。

当初のテレワークは、在宅勤務を中心に例外的なワークスタイルとして導入されたものだ。だから、マネジメントの焦点は常にオフィスワークを起点にして発想されており、どこまで例外を許容し、その例外的な制約の中で効率を上げる方法を模索してきたのである。

しかし、COVID-19の出現で世界は一変した。突然、リモートワークを常識的なワークスタイルとして考えなければいけなくなってしまったのである。これに対応できないのは異常なことではなく、前提条件が根底から変わってしまったのである。なかなか、頭がついていかなくて、ついついオフィスワークのワークスタイルを起点にリモートワークを考えてしまうので、誤りを犯す。

例えば、会議。実際にオフィスに出られる人が2割で8割の人が在宅だったとする。20人の部門会議であれば、4名が会議室に(距離を空けつつ)集まっていて、16人が個々にWebで会議に参加することになる。ちょっと距離を置いて外側から眺めてみると、個々にWeb会議で参加している方が大人数で、集まっている4名の方がマイノリティなのだ。つまり、4名が今までの常識に基づいて会議を進行すると、マジョリティの16名の方が置いてきぼりになってしまう。会議を機能させることを優先させようと思ったら、出社している4名が別々の部屋にいて、16名全員がWeb会議で参加しているようにした方が、公平性が確立できて具合が良い。マネジメントを担う立場の人がオフィスワークの常識で動いたら駄目なのだ。マネジメントの手抜きではなく、考えるべき起点が変わってしまったので、そこに視点を移せなければマネジメントができないのである。

だから、社長や部長などのマネジメント層がその視点を理解できない限り未来は開けない。

次に、視点が分かるようになると何が起きるのか。論理的に考えれば、共同作業と公式会議を最小化して機能するビジネスプロセスを模索することになる。共同作業を減らすためには、共同作業を減らすための個人作業である準備作業を増やさなければいけない。類似事例を想起するとすると役員会議等の高レベル会議に向けて、練りに練った資料を短いサマリーとともに準備し、100時間もかけて検討した内容を5分で発議し承認を得るようなケースがある。公式会議もある意味で共同作業の一種であるが、そのコストが高ければ高いほど、公式会議でない共同作業の量を増やし、個人作業の量を増やして生産性を向上させてきた。リモートワークというワークスタイルでは、このマネジメントがどんどん低レベルリーダーに降りてくると考えるのが合理的だ。

一方、緻密な段取りをしても環境は刻一刻と変わるため、準備に時間をかければうまくいくとは限らない。また、誤りに気がついた時に迅速に対応できるか否かで、無駄な作業となる量が変わる。そして、個人作業への割り込みの量が増えれば、その作業の生産性は落ちる。そう考えると、目標を理解した上で、自分の裁量で次善手を打つことができるかも重要となる。

リモートワークというワークスタイルを選択する場合は、リモートワークを前提に考える訓練をそれぞれのリーダーシップレベルに基づいて行わなければいけない。求められるマネジメント能力も変化し、従来優秀と思われていたリーダーが、リモートワークでリーダーシップを発揮できるとは限らない。しかし、科学的に考えることはできる。視点をリモートワークを標準とする位置に移しておいて、業務アクティビティとその実施方法を考え直せば良いのだ。考えるのは面倒だが、面倒でもよく考えた組織は、考えなかった組織より強くなる。

リモートワークのマネジメントは、リモートワーク視点でマネジメントを行うことによらずに機能することは無いだろう。リーダーや中間層(テレワーク粘土層)が古いパラダイムに留まっていれば時代適応は困難になる。言い換えると、必要なのは覚悟だけなのかも知れない。旧来の常識を守るために人命をおろそかにするような組織に未来は無いかも知れない。