VOGUEの『政治もファッションも! より良い社会をつくるリアルな戦略。【北欧サステナライフ研究 vol.5】』という記事が知人のFacebookのタイムラインで引用されていた。北欧はヨーロッパの中でも特別な地域としてブランドになっている。それでも記事にある「昨年末、フィンランド新首相にサンナ・マリーン社会民主党党首(34)が就任した。現職で世界最年少の首相となり、連立政権を組む5党の“顔”は全員女性。そのうち4人が30代だ」は衝撃的である。
私は、北欧では郊外はもちろん、都市部でも相対的に心が静かになる感じがする。清潔で人々に節度を感じる。声が大きい人についていくのではなく、静かに思慮深く考えている人達を大事にしようとしている感じがする。
ふと何が違うのだろうと考えて見ると、今の日本だと「売れるものを作れないとだめだ」とか「人と差別化できる強いところを獲得しないとだめだ」という脅迫感、空気?があって、身近な問題解決と商業活動の間に距離がある気がする。何か、全てが勝ち負けのあるゲームになっている。
良いものを作りたい、良いサービスを提供したいという善意は、恐らく世界中のどこに行っても、あまり変わらない気がする。その良い思いを持続可能な形に育てていくやり方に何か違いがあるのだろう。多分、自由主義とか社会主義とは関係ない。旧ソ連圏に行くと幹線道路が目立ち、生産性で勝利するためには自転車や歩行者のことは後回しで良いと考えているように感じさせられる。「民<国」を感じる。日本も歩行者より物流、インフラ整備優先と感じさせられる景色は多い。やはり「民<国」を感じる。工業化時代には良い思いより物的な豊かさの価値のほうが大きかったのだろう。どうやら北欧では一歩先に変革が始まっているようだ。「民>国」かどうかは分からないが、人々の暮らしにかなり光のあたった社会を感じる。
強い者を優遇する制度になっていると、強い会社に所属しなければ良いと思うことの実現に近づきにくくなる。やりたいことに手をつけられるようになるまでの距離が遠くなる。税を重くして、研究開発を営利団体の外で行われるように誘導すると、やりたいことに手を付けられる人の制限は緩和されるだろうから、恐らく新しい事業の種の創出数は増加する。一方で、企業が投資しているケースでは何としても回収したいから収益化に力を投じるが、そういうパトロンがついていない再配分型政策で生まれた新事業の種は芽を出すことなく埋もれてしまうケースが増えるかも知れない。
どちらかの方法が正しいというわけではなく、ルールが一定でその中での競争という環境のもとでは、強者優遇に利点が多く、ルールが変わる、パラダイムシフトが起きる時期には、小さな新しいものがたくさん生まれた方が環境変化に対する適応力が高まるのだと思う。
北欧が魅力的に見えるのは、早い時期に少子化に直面し、持続可能性への取り組みが早かったのが原因だと私は考えている。地球温暖化など今までの強者優遇政策の向こうにある破綻が明らかになって来たことによって、強さへの依存から多様でしなやかな社会への変革を望む声が大きくなってきているのだろう。思慮深い子育て世代の女性達に国の判断を任せるのは私にはとても好ましいことに思える。
写真は、2013年のストックホルム。