「はたらくおじさん」が幸せになれる社会を望む

「はたらくおじさん」より「はたらかせるおじさん」になろう!』を読んで考えた。

私がソフトウェア業界に新卒で就職した頃には、金融系のプロジェクトで大立者になろうと思っていた。金が集まるところの近くにいないと損だと思っていたのである。東大に入ったわけでもなければ、大学で主席を取ったわけでもないのだが、全能感はあった。絶対俺はいけていると信じていた。そのいけている感は今も変わっていない。つまり、今も未熟(非熟)だということだ。

しかし、私は昔も今も、自分の手で未来を拓きたいと思っている。もちろん、今の社会では金がなければ生きていけないし、金をうまく機能させれば未来が拓けると思う。内藤氏が書いているのは現実である。しかし、自分の手を、あるいは頭の全力を金だけではない未来に賭ける人がいなければ、時代は動くことはない。行動なくして変化はないのだと信じている。

現代も依然として、明らかに資本家優位の時代が続いている。熟れて腐ってトランプや専制的な扇動者の時代であるが、私は必ず私の生きている間に時代は動くと思っている。それほど、時間はかからないだろうと信じている。