新生活13週目 - 「イエスの誕生が予告される」

福音のヒントから待降節第4主日 (2020/12/20 ルカ1章26-38節)  

キリストの復活が荒唐無稽なら、処女懐胎も荒唐無稽な話しだ。安易に解釈すれば、復活が現実なら、処女懐胎も現実だという言及にもとれる。福音のヒントから、福音朗読の箇所の引用をさせていただく。

福音朗読 ルカ1・26-38

 26〔そのとき、〕天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」29マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」34マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」35天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。36あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。37神にできないことは何一つない。」38マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

福音のヒント(1)で、28節の「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」の「おめでとう」の原語がカイレという言葉で喜べという意味だと書かれている。一人で日本語の聖書を読んでいても、そういう背景は知ることができない。牧師の知識や教会に蓄積された知識がなければ、正確に理解しようとするのは難しいから、こういうヒントは大変ありがたい。一方、自分で検証するだけの能力がなければ偽情報に踊らされてしまうリスクをはらんでいる。

生誕に関わる説教は何度も聞いた。確か砧教会ではなかったし、誰の説教だったかは忘れたが、マタイによる福音書の最初の系図のところで、イエスの父であるヨセフがダビデ王の遠い末裔であると記されているが、処女懐胎だから血はつながっているわけではないという話があったのが強い印象に残っている。この物語の解釈は、様々あるが、イエスが人間として存在していたわけだから母はいなかったわけがない。イエス伝を書こうと思うと、触れないわけにはいかないだろう。ただ、本当のところは良く分からない。イエスが死刑になった時には母マリアは存命だったようなので、当然誰かが生誕の様子を聞いただろう。この箇所は、その聞き取りに基づいて書かれたものかも知れないし、創作されたものかも知れない。恐らくこういうことがあったのだろうと信じるしか無い。

事実は、どうだったのだろうと追求する研究は多くなされている。誕生日は確定されてはいないが、西暦0年ではなかったらしいし、12月25日でもなかったらしいことは恐らく間違いないだろう。それを虚偽記載として糾弾した人はたくさんいて聖書の正統性に疑問を投げかけたがそれでもキリスト教はまだ生き残っている。私は、事実は事実として究明されたら良いのにと思うけれど、誕生物語が否定されり、聖書の無謬性が失われるのが耐えられない人もいる。

事実委細はともかく、今日は多くの教会でイエスの誕生を祝うクリスマス礼拝が持たれる。喜びをもってこの日を祝いたい。今日は、奇跡を願いつつ、砧教会のクリスマス礼拝にZoomで参加した。その感想は控えておく。