新生活20週目 - 「多くの病人をいやす」

hagi2021/02/07(日) - 10:21 に投稿
Artist: Unknown. Date: second half of the 6th century. Provenance: Constantinople. Present location: Sinai. 92.8 x 53.1 cm. Encaustic icon.

2月となった。新生活も20周目となったということは、133日以上が経過したとうことになる。砧教会の会員の一人が亡くなったことを2月6日に知った。2020年6月7日以降大本営発表と堕した週報など見る気もないが、まさか会員の死さえ連絡しないほど金井氏も執行部も傷んでいるとは思っていなかったからショックだった。一通のメールを送る勇気も愛も失われてしまったのだ。今日はオンライン礼拝への参列を遠慮し、一人で過ごすこととする。

1月は4回オンライン礼拝に出席したが、私にはかつては優れた分析力と丁寧な調査が際立っているように感じた説教が全く響かず金井氏の独善的解釈の垂れ流しにしか受け取れなかった。私側の問題だろう。噂に聞くに、牧師は献身的に牧会活動を行い、役員も誠実に良い業に励んでいるように見える。しかし、どれだけ善行をつもうとも、総会決議の約束を破ってそれを隠してしまった罪は永遠に消えることはない。私にとっては今はとても牧師とは呼べないが、悪人とは全く思わない。いつかきっと不毛な日々は終わるだろうと期待している。まだ、2020年6月7日の事実は教会執行部によって隠蔽されたまま明らかにされていない。しかし事実は消えない。

今の私にとって、福音のヒントは心の支えとなっている。感謝したい。書いておられる方には迷惑かもしれないが、感謝している。

今週の箇所は年間第5主日 (2021/2/7 マルコ1章29-39節)  と、先週の直後の箇所である。福音のヒントの福音朗読は聖書の字句そのものではないので、今日は新共同訳から直接引用する。

29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。33 町中の人が、戸口に集まった。34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

福音のヒントでは、最初の「一行は」を〔そのとき、イエスは〕と書き換えている。もとの聖書がそうなのか、あるいは別の理由なのかはわからない。

このシモン、シモン・ペテロはwikipediaによれば、初代教皇と見なされている人物、筆頭の弟子である。30節にシモンのしゅうとめという記述があり、シモンとアンデレの家という記述があることから、シモンは養子だったのかも知れないと思わされる。その家はシモンの配偶者の家だったのかもしれない。アンデレとは血の繋がりはなかったというふうに想像することもできる。「彼女は一同をもてなした」という記述があるので、そういうことができる権限があったと読むこともできる。当時の家族関係、家族での力関係がどうなっていたのかが気になる記述である。

福音のヒント(1)では『悪霊は先週の「福音のヒント」でも述べたように「人を神から引き離す力、人と人との間を引き裂いていく力」と考えたらよいでしょう』とある。現代から、当時を振り返れば、しゅうとの発熱の原因は何らかの病気だっただろうと考えるし、「多くの悪霊を追い出して」という記事は眉唾である。実際にどのような事実があったのかは知る由もない。だから、「人を神から引き離す力、人と人との間を引き裂いていく力」という解釈には一定の説得力がある。そう考えると『その人が神とのつながり、人とのつながりを取り戻すこと、それがイエスの行なっていたことだと言えるでしょう』は自然な帰結になる。

しかし、今の私にとっては「神とのつながり」とは何を意味するのかは重要な課題である。ちょうど第一朗読はヨブ7・1-4、6-7で、神との関係回復の書物。ヨブ記はハッピーエンドなのだが、最後は因果律が支配すると読むか、実は因果律など支配していないのだと読むかは読者に任されている。神がどう思っているかなど知ることはできないから、結局は自分が正しいとおもうことを誠実にやっていく以外の道などない。そして、全力を尽くしたとしても神とのつながりが双方向となることはない。現実社会では「人とのつながり」も簡単な解釈を許さない。同調圧力に屈していれば良いということでないのは明らかだろう。だから、「人を神から引き離す力、人と人との間を引き裂いていく力」から開放するイエスという福音を単純に解釈することはできない。信じられるということそのものが奇跡的なことだと思う。

福音のヒント(5)の『それは一人一人が祈りの中で、沈黙のうちに語りかける神の言葉として受け取るしかないのです』は現実だと思う。

きっと未来は開けると信じる。

※画像はWikimediaから引用させていただいたもの

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