新生活26週目 - 「ギリシア人、イエスに会いに来る~人の子は上げられる」

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26週目、今週も福音のヒントに学んでいる。年間52週だから砧教会を出て半年ということになる。ここのところ砧教会のオンライン礼拝には出席しているが、今も私の放浪の日々は続いている。

今日の箇所は、「四旬節第5主日 (2021/3/21 ヨハネ12章20-33節)」この直前の12節からの部分には「エルサレムに迎えられる」という見出しがついている。

聖書ではイエスは日曜日にエルサレムに入り金曜日に磔になったと書かれている。今日の記事は、火曜日のことらしいが、この記事も共観福音書の並行記事は見当たらない。まずは、箇所を引用させていただく。

福音朗読 ヨハネ12・20-33

 20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
 27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

福音のヒント(1)で「「ギリシア人」はギリシア語を話す異邦人のことを指す言葉です」とある。イエスの時代の言語状況によれば、エルサレムではギリシャ語は公用語の一つだったらしい。ヘブル語が正統なユダヤ教の言語で、イエスが話すアラム語はバビロン捕囚の結果としてユダヤに侵入した異言語、ローマに支配される前はギリシャに支配されていたので、ユダヤの指導者からするとギリシャ語は侵略者の言葉と言えるだろう。ピラトはローマから派遣された総督だからラテン語を話していただろう。イエスがギリシャ語を理解できたかどうかはわからない。フィリポやアンデレはギリシャ語を解したのだろうか。

一粒の麦の話は、ヨハネ伝だけの記事で福音のヒントが示唆するように、現在は人間の体という制約で活動地域が限られているが死ねば地域の限定に意味がなくなり異邦人を含む全ての人間に福音が伝えられることになるという話なのかもしれない。共観福音書では火曜日は説教を行った日と位置づけられている。ヨハネ伝ではこの話しか無い。火曜日はイエスはオンステージだったと考えると、主要な弟子たちはそのサポートに専念していただろう。アンデレはペテロの兄弟で弟子の中でもかなりイエスに近い場所にいただろう。フィリポはもう少し遠い位置にいたからギリシア人が接することができたのかもしれない。一つの考え方として、バックステージの一コマと見てもよいだろう。もしそうだとすると、ステージ上の説教のイエスの輝きと、死を覚悟している人間イエスのギャップを書いているとも読める。声が降ったというのは創作の匂いがするが、何かはあったのかもしれない。

ギリシア人は何を知りたかったのだろうか。ただの興味だったのか、イエスに真理があると思ったのか。多分前者だろう。弟子たちもこの時点では何も理解していない。興行モードだっただろうと思う。福音書は後から書いているから、後付の解釈を加えることができる。たった6日で裁判から死刑に至るという話はその時どうだったかを想像すれば想像するほど無理がある感じがしてくる。いくらなんでも短すぎる。福音書以外の史実を研究した文書も読みたくなる。一方で、史実を追うことに囚われるより福音書を通してその奥にあるメッセージに耳を考えないといけないとも思う。「自分の命よりイエスに従え」というメッセージは苛烈だ。そして、そのメッセージがもつ意味は人によって異なる。私には、愛を持って真実を追求し続けよと響いている。

※画像はwikimedia イエスの入城(パブリックドメイン)