新生活39週目 - 「突風を静める」

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第12主日 (2021/6/20 マルコ4章35-41節) 」。

まず、聖書箇所を引用させていただく。

福音朗読 マルコ4・35-41

 35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。38しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

福音のヒント(1)で、「向こう岸」がユダヤ人にとって異邦の地であったことが書かれている。『イエスが異邦人の土地に向かおうとしたのは、異邦人にも神の国の福音を告げるためだったと考えてよいでしょう。「向こう岸に渡ろう」と呼びかけるイエスご自身は、神のみ心に従い、自分のすべきことを自覚しておられますが、弟子たちはそうではなかったのかもしれません。38節の「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」という弟子たちの叫びは、「本当は行きたくないのに先生が言うから船出した、その結果がこんなありさまだ!」という不平のようにも聞こえます。』と書かれているのが興味深い。

ガリラヤはどんなところだったのか改めて自分のできる範囲で調べてみると、イエスの時代のガリラヤはユダヤ属州には含まれていない。州都はエルサレムではなくカイザリアでテルアビブの北方50km程度の地中海沿いでエルサレムよりカペナウムのほうが近い。ローマから見るとエルサレムはローカルな都市の位置づけだろう。向こう岸であるデカポリスは、「パレスチナにおけるギリシアの10の植民地の町の総称」とあった(同じくユダヤ属州に含まれない)。イエスはバビロンの流れをくむアラム語を話している。新バビロニアによるバビロン捕囚で学んだ広域で通用する言語だろう。ローカル言語のユダヤ語とグローバル言語のアラム語のバイリンガルだったのだろう。

 

ユダヤは新バビロニアに征服され、ガリラヤ湖はバビロンから地中海に抜ける手前の街だ。一方、デカポリスはギリシャの植民地ということで、西方のギリシャの文化も入っていたと思われる。なぜか?

イエスの時代の300年強前にギリシャ(マケドニア、テッサロニキ近郊生まれ)のアレキサンダー大王が広域を制圧したなごりということだろう。語族が違う国の植民地だと、バイリンガル率は低かっただろうから、言葉が通じない「向こう岸」に渡るのはかなり勇気のいることだ。一方で、150年前にはマケドニアはローマの属州になっており、世界の中心はローマに移っている。向こう岸は世界の中心に向う道ではない。

福音のヒントの「異邦人にも神の国の福音を告げるためだった」にあるようにイエスの視野にギリシャは入っていたのかも知れない。ただ、ローマが視野に入っていたかは分からない。ローマは遠いが、周辺のローマの属州には教えを拡散しようと考えていた可能性もある。

ガリラヤはバビロン、ギリシャ、ローマの影響が交錯する場所だったのだろう。そう考えると、エルサレムはイエスにとっては過去のユダヤの首都に過ぎなかったのかも知れない。首都にはナショナリズムが強く出てしまうが、周辺都市は様々な文化を許容しないと生き残れない。イエスはその形が望ましいと考えていたと私は想像する。支配の構造でなく、現在でいうDiversity and Inclusionを提唱していて、出自や強さではなくただよく生きる、互いによく生きることができる関係を目指そうと主張している。ガリラヤという地域と無関係ではなかったのではないかと感じる。エルサレムに上京しヨハネ教団に学び気づきを得てガリラヤに戻ったと考えることができる。

この箇所は子供の頃に読んだ記憶があり「イエス様すげー、何でもできるんだ」と単純に読んでいた。弟子たちのひ弱さが際立つとともにイエスへの依存心が高まる効果のある箇所である。正直、今でもイエスには依存して良い、依存するのが良いという気持ちが続いている。それが影響して、キリスト教指導者への依存心につながる傾向があるのは否定できない。しかし、振り返ればイエスは主なる神を愛せと説いていて、常に自立を促している。

さて、私にとって「向こう岸に渡ろう」とはどういう意味なのだろうか、安住の地を出て新たな目標を定めて旅に出よということだろうか。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」というのはどういう意味なのだろうか。

※画像はThe decapolis cities - wikipediaから引用したもの