今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第15主日 (2021/7/11 マルコ6章7-13節)」。
新共同訳の見出しは「十二人を派遣する」で福音のヒントには「ずっとイエスのそばにいて、イエスのなさることを見てきた弟子たちが、いよいよ派遣されるのがきょうの場面です」とある。
まず聖書箇所を引用させていただく。
福音朗読 マルコ6・7-13
7〔そのとき、イエスは〕十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、8旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、9ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。10また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。11しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」12十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。13そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
福音のヒント(2)で、並行箇所に触れつつ「「杖(つえ)」は野獣や盗賊から身を守るために用いられることもあり、旅には必要なものと考えられていました」と書かれている。前回ナザレの(現代の)気候情報を読んだが、旅に出るということがどういうことかは、その地域に行かないと分からない。あるいはその地域に住んだ上で旅を経験しないと中々理解できない。ナザレは、夏は雨はふらないが蒸し暑く、冬は雨は降るが乾燥していると書かれている。冬の平均最低気温が7度で、夏の平均最高気温が31度、「3°C 未満または 33°C を超えることは滅多にありません」とあるので、気温だけを見れば東京より過ごしやすそうなところに見える。エルサレムから死海の間には岩砂漠があるが、ガリラヤはそれほど気候的には厳しいところではないように見受けられる。例えば極寒の地など気候が厳しいところだと、旅人はもし受け入れられなければ死んでしまうが、恐らく弟子たちの旅路は、そういう意味ではなんとかなるというものだったのかも知れない。
記載を見ると、何となく修験僧を思い起こさせる。最低限の持ち物だけで移動し、道を説きつつ寄進を求めるようなイメージだ。かなり胡散臭い感じもするが、イエスの噂が広まっていれば、ひょっとすると願えば何か望みが叶うかも知れないと考える人もいたかも知れない。何か叶えてほしいことがあるか、ある程度の経済力があれば興味本位で宿を提供する人もあったのだろう。聖書箇所には「そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」とあるが、実際には何があったのだろうか。「油を塗って多くの病人をいやした」と書かれているのを改めて読むと蝦蟇の油かと思ってしまう。何となく霊験あらたかな修験者さまが奇跡を起こしたというイメージに結びついてしまう。本当のところは分からないが、王あるいは皇帝を頂点とする階層的な世界観に対して、イエスの説く「貧しい人々は、幸いである」といった新しい教えはインパクトがあったのではないかと思う。福音のヒント(4)には「「何かの教えを宣べる」というよりも、「神の国を宣べ伝える」のです。これこそがイエスの活動の中心でした」とあるが、奇跡はつかみで、本質は福音の種を蒔くということだろう。実際、その種は根付いて育っていった。
改めて考えてみると、これは無血クーデターに近い。支配には従うしか無いという常識あるいはあきらめに対して、そんな風に考える必要はないと説かれれば、えっ、そうなの、本当に?という感じになる人もいるだろう。人数が増えると無視できない力となる。権力者にとっては由々しき事態である。広まれば確実に弾圧の対象になるだろう。
この時、弟子たちはどう感じたのだろうか。大して覚醒していたようには思えないので、師匠に行けといわれたので行ってみた、やってみたといったところからのスタートだったに違いない。二人で相談しながら、どうすれば良いのか考えただろう。一人では、成長のスピードは高まらないし、行き詰まると出口が見つからなくなる。二人ずつ組みにしたというのは極めて合理的な判断と言える。多分、多くのペアは喧嘩もしただろう。イエス後のパウロの時代の記述を見ると、様々な仲間割れが記録されているが、この時期はまだいざとなったらイエスに裁定を求められるという心の支えがあっただろうから、頑張りやすかっただろうと思う。
イエスの磔刑以降、弟子たちは本格的に覚醒する。その時、この旅のことを思い出しただろう。
現実の世界では、蓄えがなければ不安でしょうがないし、蓄えがあれば慢心してしまう。若い時にバックパッカーの経験のある人の話は興味深いし、欧州でコワーキングスペースに行くと時折旅人に会える。綺麗事の通用する世界ではないし、一人で動くのが基本だ。二人で行く伝道の旅は、明らかに異常な状態である。現代でも成立し得るものだろうか?
※画像はWeather Sparkから引用させていただいたもの