LGBT差別で法的措置 ハンガリーとポーランドに―欧州委という記事がある。ハンガリーがEUから排除されるのではないかという話がテレビで取り上げられていた。私は大事にはならないと思っているが、保守、ポピュリズムのことをもう一度、多くの人が考え直す必要があると思う。安倍やトランプ問題と通底するものだ。
ハンガリーのブダペストに行ったのは4年前。Coworking Europeのタイミングで日本で紹介された現地の日本に関わる大学教授に会いに行った。週末にウィーンの空港からバスで行って二泊、日曜日に街歩き、月曜日に用件をすませて鉄道でブラチスラヴァに向かった短時間滞在だった。印象的なコワーキングスペースにも訪問し、運営者の話を聞く機会にも恵まれた。美しい街だったが、ワルシャワ同様に東欧色が強かったのを思い出す。
お話した教授から、自由化後の格差の拡大や社会保障の低下に不満を持つ人は年長者に少なくないと聞いたのを忘れることができない。
オルバン氏は「国を成功させるのはおそらく民主主義ではない」と考えていて、EU的な民主主義は失敗だったと考えているように見える。ハンガリーでは少なくない有権者に民主主義に対する失望があるのだろう。一方、世代ギャップも大きい。KAPTÁR COWORKING SPACE BUDAPESTで感じたのは、自由を重視し、新しいことに挑戦する雰囲気だった。私にはとても居心地が良かった。相対比較では欧州の中では経済的に恵まれているとは言えないが希望が感じられたのだ。
日本と共通すると思うのは、保守派政治家が抱き合わせ法案を推進する傾向だ。かつての常識が崩壊していくことへの抵抗感を煽って国家権力を強化するルールを成立させる。個別に議論すれば意見がまとまらないような議案を抱き合わせで通してしまうのだ。一度制度化されてしまうとじわじわと人権は後退していき、若い人、あるいはマイノリティの自由な挑戦を阻害することになる。愛国軸が評価されるようになり、権力者が思いつかないような新たな挑戦するものが報われない社会ができかねない。日本の場合は、年長者世代には強い成功体験があり、若者や女性を含むマイノリティにはチャンスが少ない。ポピュリズム的保守政治が幅をきかせば、囲いの中の自由幻想が導入されるだけだろう。本当に新しい動きに権力者が気づくチャンスは少ない。
もちろん保守も民意だから、尊重されて然るべきだが、変化を許容できなければまず間違いなく衰退していく。人生が残り少ないと考える人にとってはどうでも良いことかも知れないが、それでは若い人は報われない。結局、それは自分の首を絞める事にほかならないのだ。
政権が権力を維持するには、生活の向上を体感させるかあるいは幻想させる必要がある。事実と差異があっても夢を見せておけばしばらくは安泰だ。日本では政権はオリンピックに賭けた。オルバン政権は中国マネーを使って演出しようとしているように見える。しかし、有権者はバカではない。考える人は考えるし、動く人は動く。保守派あるいはポピュリストが頑張れば頑張るほど歪みのエネルギーは大きくなり、革命が起きなくても決壊した時の影響が大きくなるだろう。
EUが理想とする人権の充実は決して順風とは言えない。ただ、移動の自由が制度上保証されている限り前進は続くだろう。それと、事実を謙虚に分析して立案できる官僚機構の充実が肝となると思う。政治主導を否定するものではないが、強力な長期トレンド研究機能があって初めて生きるものだ。ハンガリーであれば、若者を失望させない将来計画が立案できるのが望ましい。政治、特に保守政治が強すぎると行きあたりばったりになる。保守は亡国である。
移民問題やコロナの驚異で今後しばらくはポピュリズムは力を得続けるだろう。しかし、できるだけ早く感情に訴えるものから事実に基づく判断に移行できたほうが望ましいと思う。彼の地の保守派もそうでない人も幸せになれる未来が来る日を祈る。私には他人事に思えない。
※画像はブダペストの団地。