新生活47週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる~マリアの讃歌」

今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「聖母の被昇天(2021/8/15 ルカ1章39-56節)」。

冒頭に聖母の被昇天という記述がある。8月15日だそうだ。カトリック中央協議会の典礼暦を見ると「8月15日(日) 聖母の被昇天(祭日・白)」とあった。次に?と思ったのは「白」、白ってなんだと思って検索したら、ストラ(ストール)の色らしい。次いで祭日と祝日ってなんだと思って再検索したらwikipediaにカトリック教会の聖人暦という記事が出ていて「重要性の順に「祭日」「祝日」「義務の記念日」「任意の記念日」とされている」と書かれていた。2021年(年度)は祭日が17、祝日が8、記念日が1(教会の母聖マリア)、その他を含めて34の暦が掲載されていた。マリアに関連するものは4件で、そのうちひとつは1月1日の神の母聖マリアの祭日である。

まだ一年に満たないが、カトリックの神父のページから学んでいると、カトリックのシステムの素晴らしさを感じることは多い。一つは、3年周期で福音書を読む習慣。暦の尊重による記念の習慣も印象的だ。

Wikipediaによれば聖母の被昇天は「1950年、当時のローマ教皇ピオ12世のエクス・カテドラ宣言によって正式に教義とされた」とある。8月15日という日付自身は6世紀ころに安定してきていたようだ。いずれにしても、祭日と定義することでそれを記念することになる。組織的に何を重視しているかを公式に定義することで構成員に繰り返し思い出させるシステムだ。これは国家の祝祭日でも同じだが、実際にはお休みの日としか考えない人は多いだろう。ともあれマリアを記念する日は4/34で11.8%となる。カトリック教会がマリアを重視していて繰り返し想起させようとしている組織的な意図は明白である。典礼暦は主の降誕、公現、洗礼などキリストの史実(と思われること)を記念するものが大半なのだが人に結び付けられているものも少なくない。

プロテスタント教会で育った私にとってはカトリックのマリア崇敬には強い違和感を感じる。マリア崇拝とは区別されているがわかりにくい。wikipediaで崇敬を引くと「崇敬、または聖人の崇敬は、聖職者、神聖性または聖性の高いものであると認められている人を敬う行為である」とある。聖人という記述にも抵抗がある。私は最初の弟子たちもパウロもただの人間だと思っているし、マリアも特別な存在とは考えていないので崇敬という概念そのものが存在しない。

もちろん、普通の人とは違う働きをする人はいるし、尊敬に値する行為はある。マリアが立派な行為をした人だったかも知れないが、だから特別だとは思えない。教会でも牧師だろうが役員、長老だろうが役割を負っているただの人間としか思わない。支持することもあれば、支持しないこともあり、それは単なる風向きに過ぎない。努力を重ねて知識や技術を身に着けた人は立派だと思うし敬意を感じるが、ある時代に生きて活動し社会に影響を与えただけのことだ。その人を神が認めるか否かは神が決めることであって、人が聖人と位置づけることはおかしいと思う。社会あるいは組織としてロールモデルを設定するのは一定の効用がある。しかし、時代とともに風向きは変わる。かつての英雄が蔑むべきもののモデルになることは少なくないし、かつて軽蔑されていた人が実は大きな働きをしていたとして再評価されることもある。

福音のヒント(1)で「キリスト信者は古代から、イエスの母マリアの生涯の終わりが祝福に満ちたものだったと信じてきました」と書かれている。そして「マリアは神に取られた(=天に上げられた)」という表現に結びついていったと推定している。私はイエスの母が幸せな老後を過ごしていたらうれしいと思う。一方で、彼女をロールモデルに位置づけるのは何か違うと思う。ロールモデル化すると偶像になってしまうからだ。そういう意味で、福音のヒント(2)の「マリアが『特別で例外的な存在』である、というよりも、『わたしたちの一員』である」という姿勢は好ましいと感じた。マリアはイエスの母という特別で例外的な役割を与えられている。そういう意味では特別で例外的な存在なのだが、それは彼女がわたしたちと同じ一人の人であるということと矛盾しない。ロールモデル化すると「マリア様がなさったようにあなたも行動しなさい」という教えにつながる。まあ、それで良い判断につながるのであれば、それはそれで良いと思わないでもないが、やはり何かおかしいと警戒したほうが良い。

遅くなったが、ここで福音朗読を引用させていただく。

福音朗読 ルカ1・39-56

 39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
 46そこで、マリアは言った。
  「わたしの魂は主をあがめ、
 47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 48身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
  今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
 49力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
  その御名は尊く、
 50その憐れみは代々に限りなく、
  主を畏れる者に及びます。
 51主はその腕で力を振るい、
  思い上がる者を打ち散らし、
 52権力ある者をその座から引き降ろし、
  身分の低い者を高く上げ、
 53飢えた人を良い物で満たし、
  富める者を空腹のまま追い返されます。
 54その僕イスラエルを受け入れて、
  憐れみをお忘れになりません、
 55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
  アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
  56マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

46節からのマリアの発言は史実だろうか。マリアの讃歌には並行箇所はない。マルコ伝には生誕物語もない。ルカ伝は報告書的傾向が強いので、恐らくイエスの生い立ちを調査したのだと思う。その過程で伝承に接して記事が書かれたと思われるが、美化されている可能性が高い。本当に事実があったのかなかったのかはわからないが、私にはマリアがこんな発言ができたとは思えない。

ちなみに、マリアの讃歌が語られたとされる場所には訪問教会があると言う。ナザレとは140km程度離れた場所でルカ伝ではイエスの両親は毎年過ぎ越し祭(春)にはエルサレムに旅していたと書かれていて、恒例の旅程でザカリアの家を訪問したと考えることができるだろう。その場所とベツレヘムの距離は10km程度。春にエルサレムに旅して3ヶ月滞在しナザレに戻り、年末に再びベツレヘムに向かったという推定が成り立つ。毎年旅ができたということは、経済的に貧しかったとは考えにくい。当時の宗教指導者との距離は近かったのかも知れない。私にはマリアの讃歌が異常に感じられるが、独特の信仰観があった可能性もある。既に時代が動きかけていることを予感していたのかも知れない。今となってはわからないことだらけだが、イエスの両親にはそれぞれの人生がありイエスとは違った景色が見えていたに違いない。

教会学校に通っていた子供の頃からクリスマスが近づくとこの箇所はほぼ毎年繰り返し読んできた。子供の頃は、そんなものかと単純に信じていたが、大人になって読み直すとちょっとありえない記事だ。まあ、それでもこの通りの事実があったと考えても良い。今までの自分の経験に照らしてみると、ありえないと思うことでも起きることはある。そういう体験を経て、これから自分がどう歩みを進めるのかを考えればよいのだろう。

画像は、訪問教会 - Wikipedia View of the facade of the Church of the Visitation, Ein Karem, Jerusalem より引用。