砧教会との協議は1mmも進んでいなかったことがわかって落胆した

前回の礼拝後の議論後、先週最初の役員会が開催された。今日、その報告がなされた。前回の件が、役員会で触れられたかを問い合わせたところ、議論もしなかったし終わったことだと金井美彦氏から宣言がなされ、一人の役員から議論に乗るなと言う忠告が金井美彦氏に出された。もう、無かったことにするということなのだろう。問題は何も解決していないが、事実と向かい合う意思は無いということだ。金井美彦氏は、本心から自分は過ちを犯していないと信じているのだと思う。その上で、困惑しつつも私の発言を許容しているのだろう。発言した役員も自分がおかしな行動を行っているとは思っていないに違いない。誰も、事実に立ち戻ることができない状態にあるということだ。ある意味で、事態は極めて深刻である。

今日は、ついに金井美彦氏は排除も辞さないという意味の発言を行った。発言した役員の方は、他の参加者への配慮を私に求めた。それはもっともだと思うが、方向は間違っている。牧師が矛盾した発言を行い、役員会が問題解決を放棄している状態に目を向けずに責任を私に転嫁しようとしているだけだ。自分たちがやるべきことをやってもらいたい。前回は論点をはっきりさせて提示してほしいと言い、あらためて送り直してもそれを無視しているのが現状だ。問題に立ち向かうことなくごまかし続けることなどできはしない。排除したって事実は消えない。私は、追求を止めない。構図を単純化すれば独裁者への不敬罪で抹殺されようとしているのに真実をもって抗っているのだ。あきらめるわけにはいかない。

あれだけ、明白に過去の自分の発言は事実に反するものだった、過去の役員会の萩原への通知には誤りがあったということが明らかになっているのに関わらず、牧師も役員会もその事実の検討に戻ることができない。単に、牧師が総会決議に違反した事実を認め、当時と現在の役員会が間違った判断をしたことを認め、その上で、教会総会の場でその誤りを許せば良いだけだ(ただ、その時、許されるかどうかはわからない)。私は、当時の役員として総会決議違反は総会決議違反だと主張し続けているに過ぎない。総会決議違反など存在しないと言われれば、私の居場所は砧教会に無くなる。私は、その事実を曲げることができないからだ。もちろん、本当になかったのなら自分の考えを改める。事実無根の糾弾であれば処罰されても当然だと思う。しかし、事実を主張して排除されてはたまらない。

牧師だろうが、人間だ。間違いは起きる。間違いが起きるのはしょうがない。告発者が現れた時に、間違いはなかったと言い張ってしまうと、悲惨は拡大していく。役員も含め、責任ある立場の人が事態をごまかそうとするとその集団は腐ってしまう。きっかけが善意ある慢心だったとしても、事実を無視しつづければやがて自壊する。

私は、なぜこんな事になってしまったのか、本当に知りたい。恐らく、砧教会にとってもその分析は将来に向けた資産となるだろう。砧教会が真実に基づく場であることを心より願っている。私の教会への復帰希望は本心である。ただただ、真実の場であることを願っている。破綻や破壊を求めているのではない。

参考:

砧教会役員会に向けて請願書を送ったがゼロ回答だった

砧教会2020年6月7日問題を再考する

念の為に追記すると、2020年6月7日時点の代表役員の金井美彦氏や責任役員の佐分利正彦氏は宗教法人として公的に情報開示された存在で砧教会の機関決定に対する法的責任を有する人達と認識している。教会総会はこの世の法人として開催が求められているものでもあり、その議事録は公的な意味を有する。金井美彦氏にも佐分利正彦氏にも善管注意義務がある。また、教会として出した書面は特に事前にこだわらない限り公的なものだ。ちなみに、請願書の返答には個々の署名がない。異論がないのであれば、堂々と署名すればよいのにと思う。

毎度書いているが、一連の文書に事実に反する事があれば、訂正し謝罪することを約束する。自分の知る限り、少なくとも砧教会に関わることで事実に反する主張を行ったことはない。また、事前に金井美彦氏ほか関係者に送付した内容以上のことは書いていない。事実に反することがあれば、誠実に対応させて頂く。