父の命日

今日11月15日は、父の命日である。昨年2020年11月15日は日曜日、時は夕刻だった。生き抜いて、時が尽きた姿だと思ったのを思い出す。

振り返ると感謝の思いが湧いてくる。決して、自分が良い息子だったとは言えない。様々な迷惑をかけたが、見捨てずに見守ってくれていた。徐々に体が不自由になりながらもずっと前を向いていたと感じている。

父が自分の死のことをどのように捉えていたかしばしば考える。死んでしまえば自分では自由にならない。予め指図しておくこともできるが、その通りになるかはわからない。私は父は完全に無になることを望んでいたように思う。一方、家族に限らず残されたものは墓などの形を求める人は多い。墓を見ることによって思い出が蘇り、それから学び、その人生に影響を与えることはある。何が正解かわからないし、正解などないのかも知れない。

墓があろうとなかろうと生きた事実が消えるわけではない。同時に、時間が経過すればほとんどの人は忘れ去られることになる。

どう生きて、どう死ぬのか、自分の思いのままになるわけではないが、私は正直に進みたい。

父を思い出すと、かなわないなあと思う。父が自慢したくなるような息子でありたいと願うが、残念ながら、どれだけ長生きしてもなれるような気はしない。それでも、まだ生きている。今日も、前を向いて進もうと思う。