Tallinnに来て2日が経過した

東京では電車にも乗らず、ほぼ毎日通っていた店にも行かず、かなり慎重にしていたのに、リスクを負ってエストニアに来て2日が過ぎた。

この地に来てやりたいと思っていたことは2日ですでに山越えした。今すぐ帰っても、創業した会社の次の手は考えられるようになった。しかし、数多く訪問しないとわからないこと、一回の滞在期間を長くしないとわからないことはある。デジタル化が進んでリモートでも多くのことができるようになっても生身の体は生身のままだ。

まだ2日だから、何かがわかるわけもないのだが、ちょっと感じたことがある。誤った感覚かもしれないし、大変失礼なのだが、コロナ危機を乗り越えるための蓄えが足りていない気がしたのである。もちろん、人によるのだが、病にかかることを恐れてはいられない感が東京より強く感じられる。東京でも貧富の差があって、切迫感を感じるシーンはあるが、2、3年なら凌げると考えているのが顔に見えている人が多い。一方、当地ではとにかく進むしかないと考えているように見える人が圧倒的に多い気がしている。スーパーのおばちゃんは、動じていない感じがする。どうも走っている人が苦しんでいる感じがするのだ。

多分、私はちゃんと見えていない。しかし、思ったことは書き留めておこうと思う。1週間経過すれば、全く違う感覚に変わっている可能性は高いが、ひょっとすると最初の直感が正しい可能性もある。