求めるものがいる限り事実は事実として明らかにされるのが望ましい

今週「赤木さん妻「ふざけるな!」国の幕引きに怒り 森友文書改ざん問題」というニュースがあった。

私は権力者が求める声があるのにも関わらず事実をごまかし続けようとしているのを見ると怒りを覚える。今回の話は訴訟の形を取っているが、彼女はまず事実が明らかになることを求めているのだ。夫の問題として捉えることもできるが、彼女自身の心の痛みに注目すべきだと思う。事実が明らかになったとしても、夫が何を考えていたかを知ることはできない。夫自身も自分がどうして自死の決断をしたのかわからないかも知れない。

人間は誰しも過ちを犯す。私はそれは避けられないことだと思っている。しかし、それをごまかし始めると嘘は雪だるまのように膨らんでいくのだ、運が悪ければそれが多くの人を不幸にする。大義のためだとうそぶく人もいるし、それを支持する人もいるが、事実に向き合うことができなければやがて必ず腐る。そして、多くの人を腐らせてしまうのだ。

逆に言えば、不都合な事実を認めた人を人として許容できなければ、間違った出来事と人が結びついてしまって将来の可能性を閉ざす。病人はいても悪人はいないと考えられる世界が望ましい。