今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「主の公現 (2022/1/2 マタイ2章1-12節)」。
福音のヒントの書き出しは「主の公現は、日本のようにキリスト教国でない国では1月2日〜8日の間の日曜日に祝われていますが、本来の日付は1月6日です」とある。Wikipediaでは公現日を公現祭として「元は東方教会の祭りであり、イエスの洗礼を記念するものであった。4世紀に西方教会に伝わり、現在の公現祭/顕現日となったが、西方教会ではイエスの洗礼の意味が失われ、幼子イエスへの東方の三博士の訪問と礼拝が記念の中心となり、異邦人に対する主の顕現として祝われるようになった。そして、イエスの洗礼の記念は、公現祭/顕現日の後日に祝われる」と書かれている。
福音朗読 マタイ2・1-12
1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
権力を持つものは真実を恐れる。事実を大事にできない教会でもそれは変わらない。権力者が過ちを犯すと真実に蓋をしようとして弾圧を試みてしまうことがある。しかし、一定の時間を経て見れば真実に勝てる権力はない。その生涯の間にその日が来なくても罪が消えることはないから、生きている間に精算しておいたほうが良いだろう。私は謝罪すべき人が亡くなってしまって後悔してもどうにもならない罪がある。お互いに生きている間に罪は精算できたほうが良い。
イエスが生まれた頃であっても、科学は真実を明らかにすることは知られていたのだろう。だから、この箇所は、本当にあったのではないかと感じさせる。私は、恐らくこの史実はなかったと思っているが、福音書にこの記述があることは意味深いことだと思っている。
ことしは、真実に決着をつける年にしようと思っている。戦うからには全力を尽くす。まだ、戦うことなく合意が得られることを願っているが、法的な期限は迫ってくるから決断しなければいけない日はやがて来る。忍耐強くあるべきだが、気がついてしまった真実をごまかしてはいけないと思っている。
※画像はエストニアとロシア国境の街ナルヴァの教会。欧州東方では東方教会と西方教会が並立している。