ムーンライダーズの記憶

一週間前の2022年3月13日に日比谷野外音楽堂でライブがあった。1万円弱のチケットを購入済みで、ぜひ行きたかったのだが、新型コロナ抗体値が無防備状態にあることが分かっていたので前日に不参加を決めた。それでも、リアルタイム配信があったので3000円強を追加支払いしてライブを見た。マスクをして声を上げることもできないライブでも、やはりその場に行きたかったと思った。

日本コロムビア株式会社がPR Timesで翌日に記事(moonriders(ムーンライダーズ)が、日比谷野音にてライブを開催!11年ぶりとなる新アルバムからの新曲も先行披露!)を配信している。

ムーンライダーズは自由学園最高学部で寮生活を始めた1979年に私の心に入った。

一曲目の「いとこ同士 (NOUVELLES VAGUES /1978)」、3曲めの「モダーン・ラヴァーズ(MODERN MUSIC /1979)」を収録した2つのアルバムが最初の2枚。それに先立つ『火の玉ボーイ』のあの娘のラブレターなども何度も何度も聞いた。それまで基本的にはハードロック一辺倒だったのになぜか心が動いたのだ。

音楽は、その時その時の出来事と結びつく。ムーンライダーズのように長期に渡って活動を続けているバンドであればカバー範囲が広い。

就職したのは1984年、6曲目の「BLDG (ジャックはビルを見つめて)(AMATEUR ACADEMY/1984)」の時は新入社員で親しくなった2名の友人と渋谷公会堂にライブを見に行ったのを思い出す。今回の野音も3人で行く予定にしていた。CDを持っていなかった(PCの購入を優先した)ので、7曲目の「檸檬の季節 (MANIA MANIERA/1982)」のアルバムにはLPが無くて聞けていなかったのも記憶に残っている。1982年に自由学園を卒業してから理科大を出るまでの2年間、音楽から離れていたが、アンコールの「くれない埠頭 (青空百景/1982)」は聞いていた。

1986年の10周年ライブで恵比寿ファクトリーにも行った。長かった。楽しかった。豪華だった。

1996年の20周年ライブにも野音に3人で足を運んだ。就職して12年。しばらく前に擦り切れるまで荷物タグを愛用していた。あのタグは20カ国以上に行って寿命を迎えた。

2006年の30周年はあまり記憶に残っていない。集中できなかったのかもしれないし、ひょっとしたら行かなかったのかもしれない。でもCDは買い続けていたし、可能な限りライブには足を運んでいた。

4曲目の「I hate you and I love you (Tokyo7/2009)」はニューヨークに引っ越した年だ。バスで家からプールに向かう時にはいつもTokyo7を聞きながらだったことを思い出す。一時帰国のタイミングでライブに参加したこともあった。

それぞれのアルバムに記憶が結びつく。メンバーも年齢を重ねて亡くなった人もいるし、病気や老いと向かい合う人もいる。46年という期間は長い。2026年には私も66歳になる。どんな未来が待っているのか考えさせられるし、4月にリリースされるニューアルバムは、また新たな時代の記憶と結びついていくのだろう。

※冒頭の画像はPR Timesの記事(moonriders(ムーンライダーズ)が、日比谷野音にてライブを開催!11年ぶりとなる新アルバムからの新曲も先行披露!)から圧縮引用させていただいたもの