民事訴訟に学ぶ

hagi2022/05/18(水) - 18:23 に投稿

現在私は約50年通ったキリスト教会の代表者と書記担当の責任役員を被告とする民事訴訟を争っている。訴訟を起こすのは生まれてはじめてのことで、右も左もわからずいろいろ調べながら進めている。以前上場企業の取締役だった経験があるので、訴訟というものの一端に触れたことはあるが、企業と違って個人として争おうとすると景色はぜんぜん違う。

被告ら訴訟代理人から準備書面が届き、内容を見ると当然のことながら食い違いがある。解釈の問題で食い違いがある部分には違和感を感じることはないのだが、主張の中に私から見ると明らかに虚偽だと思われる記述がある。もちろん私の勘違いかもしれないが、その虚偽性を立証すると被告が自動的に偽証罪等の刑事罰の対象になるのではないかと思って怖くなった。いざという場合に備えて刑事告発の準備もしているが、望んでいることではない。私が望んでいるのは、教会運営が専制と隷従に陥ること無く正常化されることであり、起きてしまった事実が明らかにされ、その現実に基づいて反省すべきことは反省した上で、母教会が真実の場所となること(あるいは私の勘違いで真実の場所であったことを確認できること)を望んでいるのである。だから、私から見ると明らかに虚偽と思われる被告人による記述が含まれていたことを見て恐ろしくなった。

今後、どうしようかと考えてググってみると、「【判例つき】民事裁判の証言や陳述書で嘘をついたら偽証罪に問えるのか」という記事があった。他にも検索に引っかかる記事は多数あるのだが、「私の経験から申し上げると、民事訴訟では「たいていの人が嘘をついている」と考えた方が良いです。」という表明と、「虚偽の陳述書を提出しても偽証罪は成立しません」という記述が印象に残った。正直驚いたが、ちょっとホッとした。

一方で、もし証言を求めた場合は、「民事裁判を進めていくと、終盤に証人尋問が行われますが、そのとき証人が自分の記憶に反して虚偽を述べたなら、偽証罪が成立します。」とある。つまり、もし被告の虚偽主張を忖度で養護してしまうと、証言後に以前その人が事実を内輪で開示していることが明らかになり「記憶に反して虚偽を述べ」ていたことが明らかになるとその人は刑事罰の対象になってしまうということだ。これはきつい。刑事事件として告発しなくても望まない被害が発生してしまう可能性がある。これはきつい。覚悟がいる。もともと、出来心を裁きたいと思っているわけではなく、求めているのは事実の究明と教会運営の正常化なのだ。

いずれにしても、示談に応じる気はないから、第三者による事実の裁定は下るだろう。自分の希望に沿うかどうかは分からないが、一定の客観性のある事実の究明はなされることになる。そこからの道のりも険しい道となるだろうが、あくまで目的は正常化と自分の母教会への復帰である。だから、どうしても必要な状態にならない限り経歴として残る刑事罰で処分されるような人が出ることは望んでいない。求めているのは、真実が通る組織と、専制と隷従の解消である。

民事訴訟を起こせば、第三者の評価を得られる。それは国民の権利だ。しかし、副作用として虚偽発言をした人が刑事罰に問われるリスクがある。望まない被害が起きないように慎重に動かなければいけない。