今日、オンライン礼拝で牧師が日本のキリスト教会は危機に瀕していると言っていた。
別に日本に限られてことではなく、世界的な傾向である。私は、かつて欧州諸国はキリスト教国で、多くの人(半数以上)が宗派はともあれ信徒だと思っていたが実態は違う。ストックホルムで廃教会がコワーキングスペースに変わっていたことを見たのは衝撃だったが、見る気になってみれば廃教会などいくらでも見つかる。教会税が廃止されたり任意になればバタバタと潰れてしまう。
アメリカでは2021年3月発表のギャラップの調査U.S. Church Membership Falls Below Majority for First Timeがある。Churchとあるが、
STORY HIGHLIGHTS
- In 2020, 47% of U.S. adults belonged to a church, synagogue or mosque
- Down more than 20 points from turn of the century
- Change primarily due to rise in Americans with no religious preference
とあるように教会、シナゴーグ(ユダヤ教)、モスク(イスラム教)を含めて、ついに5割を切ったという話である。
Gallup asks Americans a battery of questions on their religious attitudes and practices twice each year. とあるので、自分の宗教観と2回の以上のイベント参加を聞いているので、日本で言えば、どこかの檀家で年二回以上参拝した人がChurch Memberということになる。初詣をやって盆踊りに参加した人は、回答の仕方自身でChurch Memberにも無神論者にもなるから曖昧な概念ではある。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はいずれも定期的な礼拝が開催されているので、評価がしやすいが私の個人的な感想としては、宗教観の多寡に欧米と日本で大差は無いように思う。
神社で丁寧に頭を下げて出入りする人は結構いるし、地蔵を拝むことを習慣にしている人もいる。
一方、特定のChurchのメンバーになる人は欧米でも日本でも減少傾向にあるのは間違いないだろう。スポンサーがいなくなれば経済的に成り立たないから廃れた寺院が消えていくのも自然なことだ。
ギャラップの調査だと、アメリカの場合は、キリスト教徒で教会に行く人がカトリックだと20年で18%減、プロテスタントで9%減。カトリックだとカトリック教会の籍があるがクリスマスとイースターにも出ない人が42%にまで上がっていて、幽霊会員がやがて多数派となる。
なぜか。
教えに魅力が無くなったのか。
私はそうは思わない。人間自身は、そうそう変わらない。聖書を読んでいても、3,000年前でも今でも変わらないような悩みを抱いているがわかる。もちろん捕囚の時期と強者側に属している時では生活が違うだけではなく心も影響を受ける。それでも、弱者はいなくならないし、弱者にとっては宗教は頼りの綱になる。
薄っぺらいノウハウ本でうまくいくわけがないのは多くの人が気がつく。何とか生きていかなければいけないが、できれば善人でありたいと思っている人が大多数、あるいは全ての人なのではないかと思う。良い思いができるなら手段を問わないという人もいるかも知れないが、正しい道を歩めるならそちらを選びたいと思う人が多いだろう。
運営形態に魅力がなくなったのか。
私は、Churchメンバー減少の理由はメンバーシップに魅力がなくなっているのが原因だと思っている。大学の魅力低下とも共通するものがあると思っている。そこに行けば、きっと成長できて自分の未来が明るくなると思うから行く。こっちの方がより成功の可能性が高いという値踏みはあるだろうが、メンバーシップに価値があると思えばメンバーになることを目指す。
日本のプロテスタント教会の場合は、牧師の魅力もあるが、信徒の魅力も大きい。私自身もそういう側面はあったが、その教会にいる会員の姿勢ややっていることを目にしている内に私もそういう立派な人になりたいと思ったことはあった。礼拝を含むプログラムや説教の訴求性、指導者の知見や誠実性。集団としての力が魅力を高めていく。指導者の能力が高い場合は指導者が組織を引っ張っていくこともできるが、持続性は高くない。メンバーが育って、メンバーが新来会者から見て魅力的でなければChurchは廃れていく。権威主義的になれば内部から崩壊してしまう。
解釈の問題はあるが、宗教改革は印刷技術という情報技術革命とともに進行した。情報流通が高まると隠されていたことが表に出てくる。容易に知ることができなかったことに多くの人が接することができるようになる。神秘はなくなっていく運命にある。検索技術が高まれば指導者より情報を獲得できる人も現れる。もちろん、情報が得られれば道が見つかるわけではない。しかし、外から見える集団としてのメンバーの質、魅力は環境によって変化する。
ではChurchに未来はないのか。
そんな事はない。キリスト教会に与えられた使命は福音(Good news/良い知らせ)を伝えることだが、その向こうには全ての人が幸せに生きていける社会を構築する世界観がある。その世界観は決して色褪せることはない。その隣接領域に真理の追求がある。世界はどうなっているのかを知りたいという追求には終わりはない。知りたいという思いにも果はないだろう。
一方で、その追求の仕方は変わらざるを得ない。秘伝に基づいて宗教指導者が絶対的な権力を持つような時代を続けることができなかったように、ミッションに直接参加できる人が増えればネットワークが個を凌駕するようになる。自立分散化が進むだろう。個人の関わり方も変わる。
形態は変わっても平和を求める思いは消えることはない。勝者が支配する世界とは異なる未来を求める思いも消えないだろう。それにどんなブランドを与えるかは別にしても、活動が終わることはないだろう。同時に、勝者を求める思いも消えることはない。Churchが組織であればその権力闘争が愛を破壊する。権威による支配を指向するChurchは消えていく運命にある。私はやがて今の形のバチカンも消えると思う。
自分が生きている間にどこまで変化するかはわからないが、大きな揺り戻しが起きているところを見ると、意外と遠くない時期に良い新しい時代を見ることができるのではないかと期待している。