アベ政治に関する違和感の記録
世界でビジネスをしてきたとはとても言えないが、2013年に独立してから、主にコワーキングヨーロッパ会議への参加やコワーキングコミュニティでの接点を通じて、自分なりに他国との関係はどうあるべきかを考え続けている。ユビキタスライフスタイル研究所を立ち上げる時に『「誰もが場所にしばられずに協働できる社会の実現」を目指します』をビジョンとした。会議で誰も知り合いがいなかった国の人と話す機会があって、その度に浅薄ながらwikipedia等を調べてその国のこと、なぜ今その国がそういう状況になっているのかを学んできた。もちろん、直接話しを聞いて驚かされたことは多々ある。コワーキングコミュニティには多様性を尊重し共に進むという考え方を基本理念として共有しているので、かなり自由に意見交換ができる。
私は、ECというシステムにかなり惚れ込んでいる。シェンゲン協定やユーロ、EU、NATOなど加盟国はまだらだが、移動の自由の高さに驚嘆する。そして、アジアの状況との格差をとても残念に感じているのだ。
日本は、幸い南北に分割されることはなかったが、しばしばドイツと比較される。ナチスドイツは強烈な侵略国家で、技術力で欧州の多くの地域を占領し敗戦した。ユダヤ人に限らずドイツにひどい目にあったと考える人は山ほどいる。口に出して言う人には出会ったことはないが、根に持っている人は確実に存在する。特に戦勝国のフランスは民族的な違いも目に見える形であり、今でもお互いに負けたくない関係にある。スポーツであれ、ビジネスであれ熱くなる関係性がある。
一方で、ソ連の影響も大きい。今回のウクライナ侵攻でも表面化したが、エストニアの人との接点が増え、報道を読むようになると、心の底から二度とロシアの支配を受けるのだけは嫌だと思っている人は多いと思う。ドイツに対する嫌悪感は相対的かも知れないが感じられない。
国家としてのドイツあるいはドイツの人たちはかつての侵略の歴史を「罪」と理解していて、罰を受けたかどうかは別にして罪は消えることはないと考えているように見える。賠償金の負担を含め罰は受け終わったが、自分たちの罪がそれで消えるわけではない、歴史の事実は消えないという考え方が守られている限り、近隣諸国にとっては驚異とはならない。戦勝国のフランスからジャン・モネが欧州統合の一歩を踏み出したのは印象的である。
一方日本は、自分たちの侵略の歴史を過去のものにしようとしている。自分たちのした罪は罰を受け終わったのだからもう存在しないと言うかのような振る舞いをやっている。私は、そういう考え方が嫌で嫌でしょうがない。いじめられた人はいじめられたことを忘れることはできない。罰を受け終わっても過去の事実は消えないのである。罪を犯したものが罪を犯した事実を忘れず、二度と罪を犯してあなたには迷惑をかけないように努力しますという姿勢があれば、ことさらに過去のことをあげつらうことはなくても、自分たちは正しかったと言い始めたら、かつての侵略者に対する怨念は再び燃えてしまう。
具体的に言えば、韓国、中国に与えた大きな苦痛を自分たちの罪として決して忘れてはいけないと思う。ちなみに、ODAは最初インドネシアを中心に行われた。引用したWikipediaの記事には、「また厳しい規律の日本式の軍政や皇民化が施され、飢饉を招いた籾の強制供出、ロームシャと呼ばれる重労働を課せられた者もあり、インドネシア人の対日感情は変化していった」と書かれている。100年経過しようと1000年経過しようと犯した罪、行った事実は消えない。私は、日本人はその罪の存在をきちんと若い人に教育し、その罪を反省して本当に立派な国になるように努力してきたし、今後も努力しなければいけないと伝えるべきだろう。自虐史観などという言葉自身が、関係を損なうと考えなければおかしい。自虐史観と語る口が日本は平和をめざす国で二度と戦争などしないと言っても信じてもらえるはずはないのである。罪を反省しないものに、未来を任せるわけにはいかないと思うのは当たり前の感情だ。金の力や武力、政治力で抑え込んでも過去を消すことはできない。だから、歴史修正主義者と言われてしまうのだ。そしてその指摘は的を射ていると思う。
尖閣列島問題も今の日本政府は実効支配状態なのに中国に対して侵略行為のような論調一本で押す。しかし、日本でも別の論調は存在する(田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか)。中国、あるいは台湾から見れば、実効支配されている自国の領土であり、日本から見た竹島や北方領土と変わらない。もちろん、力で現状を変えるようなことはあってはならないが、相手が一切交渉に応じない上に問題の存在すら認めないとなれば、圧力をかけたくなるのは自然な感情と言ってよいだろう。もちろん、本当に手を出せばアウトだが、少なくとも日本以外にも彼の地の領有権を主張している国があるのは事実だ。
韓国の賠償問題はもう少し難しい。私はほぼ日本側の主張に理があると思っているが、韓国側の被害者が収まらないのは、多分に日本側に罪の意識が見られない所にあると思っている。我慢できる限界を超えて失礼なのだろう。そして、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」の第三条を読むと、全く議論の余地がないとは言えないようにも感じられる。
笑顔を伴わない習氏との握手とか、韓国に対する高圧的な態度とか、現実主義と言う論者もあるが、とても欧州のような未来につながるようには感じられないのだ。北朝鮮問題がなければ、韓国ももっと強硬になるだろうし、中国からすれば日本はいつかつての暴れ者に戻るかわからない危険な国だから、実効支配領域を拡大したくなるのも理解できる。日本では、中国が凶暴化していると知らされているが、中国から見ればいつ何が起きるかわからない怖さがある。集団的自衛権を限定的とはいえ制度化したから、既に理由があれば参戦できる国に日本は変わってしまったのだ。
台湾問題は深刻だと思う。内戦の名残でもあるが、自由民主主義の理念を共有する国であり、その自由が侵され、人権が軽んじられるのは感情的に耐え難いものがある。私にはどうすればよいのかは想像もつかないが、人々の自由が保たれることを願っている。できることがあれば貢献したい。
私は、アジアにも西欧のような移動の自由のある時代が来てほしいと願っている。決して日本が支配するのではなく、経済規模等で役割の差があるとしても独立して対等な国々が共に安全な未来に向けて歩む日を願う。もはや大分弱々しい存在になってはしまったが、かつての罪を自覚して、日本が縁の下の力持ちの役割を果たし、共に歩むパートナーとして認められるような存在になれたら良いと思うのである。
食料安全保障もエネルギー安全保障も最終的には各国で解決しなければいけない問題だが、欧州であれば欧州諸国で協調して問題解決を容易にできるだろう。私は日本は犯した罪を忘れず、押し付けるような強いリーダーシップを発揮してはいけないと思うのだ。奉仕者として生きる道が望ましいと思っている。進むべき道はEUに学びたい。