戦闘機も献納、国家にすり寄り戦争に加担した仏教界最大のタブーを明かすを参照して書いたFacebookの記事を再掲
前後編、面白かった。後編の頭に「対立構造の中で、人々が熱狂し、戦争に及ぶ」という主張は本質的だと思う。宗教教団は、信者と信者でないものを区別する。宗教団体は経済的な存在だから、金がなくなれば消える。宗教指導者の育成にも金がかかるから、経営して稼がないと団体を維持することも教義の質を上げていくこともできない。仏教もキリスト教も長い歴史の中で知が蓄積され、継承され、研究が進められて現在がある。科学技術が進み、迷信が機能しなくなると過去の蓄積に変更を加えなければ宗教団体だけでなく宗教そのものを維持できなくなる。淘汰は起きるのだ。
対立構造、信者・未信者、日本人・外国人、男性・女性、Pro Life・Pro Choiceなどの属性から生まれる対立構造が人々を熱狂させる源泉になる。力が得たいもの、強さを求めるものは排他的な熱狂である。熱狂が起きてしまうと勝ち馬に乗れなければ極めて不利になる。宗教教団が強くなることを目指し始めると、宗教とは関係なく政治的な動きをするようになり、法執行で有利になるように動く。統一教会は分かりやすい事例だと思うが、国家神道と本質的に同じだ。権力にとっては教義などどうでも良いのである。対立構造が激しくなるのが好都合なのだ。熱狂が権力の原泉だからだ。
戦争を避けるためには、人々の熱狂を押さえなければいけない。長い歴史のある宗教はほぼ教義は抑制的である。一方宗教教団や宗教団体は熱狂を欲するのだ。私も記事にあるように宗教には戦争を止める力はないと思う。独占禁止法同様宗教団体の巨大化を阻止する法制度の整備が必要だろう。その入口は政教分離の法制化だと思う。もう一つは、宗教団体に対する上場企業並みの情報開示義務の制度化だと思う。
私自身はクリスチャンで教団や教会に面倒が増えるのは嫌だと思うが、腐るよりはずっとマシだ。そして、宗教は教義として蓄積してきた知恵を新たな得られた知見で変えていったら良い。分派ができるのはむしろ歓迎すべきで、履歴付きで分岐したり合流したりしながら教義をバージョンアップすれば良い。個々は唯一の真理を目指して良いけれど、全体としては一色に染められないように、人治を許さないシステムを作る必要があると思う。
宗教は危険なものだが、もっと恐ろしいのは熱狂だ。事実が軽視されるようになったら、権力構造の転換を進めないといけない。