防衛に関する意思決定にはもっと女性の力を活かすべきだと思う

個人差はあるけれど、多くの女性の方々は襲われる脅威を感じて生きてきているのだと思う。男性だって怖いと思うようなシーンが無くはないが、街を歩いているだけで怖いと思う瞬間はずっと少ないだろう。

では、護身術で対抗するかと言えば、そういう人もいるとは思うけれどむしろ静かに社会を動かして、街灯で街を明るくするとか、死角をなくすようにしてくれないかという声を届けたりすることで安全性を高めてきたと思う。その活動が男性を含めた全ての人達のQOLを向上させてきたのは間違いない。

防衛に関わる話とか外交の話とかをすると、結局実行力がなければ現実に対応できないという声が圧倒的になる。

極論すれば、襲われてしまうのは弱いからだという考え方だ。

私は、この考え方を受け入れることができない。腕力に自信がないということもあるが、その考え方に立つと、全体最適に向かわないと思うからだ。加えて、戦国時代よろしく、より力の強いものが過去の蓄積を破壊して新たな秩序を作り出すから連続性がない。自分の資産が無価値になることさえある。そうではなくて、腕力でかなわない人でもないがしろにされないような社会を作り上げるほうがずっと良いと思うからだ。私自身、自分が強い立場の時に、無理を通してしまった経験はたくさんある。無理を通すことで問題を解決できることもあるし、秩序が維持できたと感じることもあるのだが、少し長い目で見ると、無理を通して進めてしまったことが袋小路に入ってしまったというケースもある。非主流の意見の中に光るものがあったのに後から気づくこともある。民主主義社会であっても人数の力で無理を通すのは危うい。

リアルに防衛の話をしようとすると「今戦ったらどうなるか」が基本になる。直近だと「緊迫の“台湾有事シミュレーション”自衛隊の対応決める「事態認定」疑似政府の決断は」はインパクトのあるケースだと思う。国のリーダーも防衛関係者もこういう議論に目を塞ぐことはできない。シミュレーションで被害が想定されたり、負けそうなことがわかれば当然動揺する。嬉しくない。負けないためにどうすれば良いかという話になると、どう武力を強化するかという話に行きそうになるが、私はもうその段階で罠にはまっている気がするのだ。勝つか負けるかという視点にはまってしまうと、弱点探しと腕力強化を考えることになってしまう。それが無駄だとは思えないが、そこを起点にするのは違うと思う。

日本国内でも、軍を持つことを良いと考えていない人はいる。私は自衛隊は違憲だと思っている。だからといって、現実を見ないわけにはいかない。外部から侵攻された場合のことを考えなくて良いとは思っていない。ただ、武力の強化で対応しようとすれば、手を出してしまう危険が大きくなるのは間違いない。銃をもった善人が平和を守るというロジックは支持しない。銃を保持する人が少なければ、抑止力も小さくて良いのは日本の刀狩りで証明されている。それでも事件は起きる。リスクはゼロになることはない。自作銃で元総理を殺害できてしまった現実がそれを証明している。では、重武装や厳罰で問題を押さえられるかと言えばむしろ事態を悪化させる可能性が高いと思う。

襲われるのは嫌だ。だから反撃できるようにするという発想ではなく、襲われない環境を時間をかけてでも作り上げていくというアプローチのほうが長期的に見れば有利だと思うのである。

女性も男性もいろいろな人がいるから、女性なら良いという話にはならないが、システムを変えて安全を作り込んでいくという発想に立てる人に防衛や外交の分野で大きな権限を持ってもらいたいと思うのだ。欧州の小さな国のリーダーには愛情深く見える女性が複数いて、防衛上の判断も下している。必ずしもうまく行っているケースばかりとは思わないが、しなやかさ、レジリエンス性を感じることは多い。正直な感想として、それらの国々は日本より一歩先に行っている気がする。共通して感じるのは、密室でものごとを決めるのを避け、嘘を嫌うところにある。