国葬に反対する声が世論調査では5割を超えるようになったが、少し考えると多数かどうかは本質的ではない。
勝っても、負けても、今日あるいは明日、街で歩いている人はほとんど変わらない。世論が二分されてしまうと、半分が敵になってしまう。私も、通したいことがあれば是非を問いやすい質問を必死で考える。どうすれば、自分に有利になる設問が作れるかにエネルギーを使ってしまう。そのアプローチは多分平和を作るという軸で考えれば間違っていると思う。
対立は関心を呼び、関心は支出につながる。だから広告や報道の分野では対立を産むことが儲けの原泉だ。
でも、勝っても負けても共に過ごしている隣人はほとんど変わらない。居住地の流動性は低いからだ。
そう考えると、問いの設定を変えたほうが良い。第三の道、相当不満があっても許容可能な道を聞かないといけないのだと思う。ただ、オープンな設問は分析コストが圧倒的に大きい。面倒なのだ。だから、儲けから遠い。
是非を問わねばならない問題はある。期限がある問題ならそれまでに決めないわけにはいかない。しかし、本当にその期限に意味があるのか考える価値は大きい。