新生活110週目 - 「徴税人ザアカイ」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第31主日 (2022/10/30 ルカ19章1-10節)」。今日の箇所にも並行箇所はない。年間第30主日の箇所の後ろにある並行箇所がある部分を飛ばしてここを取り上げるということはC年はルカ伝に固有な部分に重きをおいているということだろう。

福音朗読 ルカ19・1-10

 1〔そのとき、〕イエスはエリコに入り、町を通っておられた。2そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。3イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。4それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。5イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」6ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。7これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」8しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」9イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。10人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

福音のヒント(1)にあるように、徴税人はユダヤの税ではなく、ローマの税を集める人だろうと思っていた。しかし、西東京ルーテル教会の「徴税人レビの召命」によれば、

直接税は任命された役人が徴収しましたが、間接税は一定地域の徴税権を最高額で競り落した請負人が徴収に当たりました。この関税請負人が「徴税人の頭」(ルカ19章2、ザアカイ)であり、実際の徴税は下請けに雇った「徴税人」にさせていました。

とある。もし、これが正しければ徴税はビジネスだったということになる。柔い徴税人では関税を集めることはままならなかっただろうから、徴税人の頭はともかく、徴税人はかなり危険な匂いをまとっていたのではないだろうか。徴税人の頭は彼らを取りまとめて徴税ビジネスを成り立たせているわけだからひょっとしたら暴力団の首領ような存在だったかも知れない。そういう存在が仏心を出したら、一巻の終わりのような気がする。あるいは利権はしっかり握った上で一日一善的なメッセージを発する人に変身することはできるかも知れない。実際の現実がどうだったのかを想像すると一筋縄ではいかない感じがする。

現実にはローマ帝国の支配下にある以上、徴税人が機能しなければ限定的に認められていた自治や宗教的自由が失われる方向に動くだろうから、国としては誰かにやってもらわなければならない。律法学者は自らは手を汚さないだろうし、自分が徴税される側の人からすると「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」という感想は不自然ではないが、実はその手が白いわけではない。単に、誰かに負の部分を負ってもらっているだけだとも言える。

ザアカイがどうかは別にして、暴力団の首領といえば瞬間的に悪人と考えるが、見方を変えればやる仕事のないはぐれてしまった人を召し抱え、人が嫌がる仕事をやらせながら生かしているという側面もある。恐れられると同時に慕われるような人物だったりする。本人は、嫌われている自覚があるとしても社会的使命の一部を担っているという自負があるかも知れない。嫌われて嬉しい人はいないだろうが「自分の生き方は神に背くものだと感じていた」かどうかは分からない。誰かがやらなくちゃいけない仕事だと割り切っている可能性もある。

ともあれ、イエスは「神から程遠く、社会のクズであり、生きるに値しない最低の人間だ」と裁くことはなかった。一人の人間として相対する態度にザアカイは驚いたのは間違いないだろう。

記事を読む限り、ザアカイが取税人の頭を辞める気があるようには見えないので、一般ユダヤ人の評価「神から程遠く、社会のクズであり、生きるに値しない最低の人間だ」は変わらないだろう。しかし、それはそれとして一人の人としてできる善いことはやろうという気持ちがザアカイに生まれた。福音のヒント(4)には「どんなに罪びとのレッテルを貼られた人であっても、あなたの中に素晴らしいものがある、あなたにはよいことをする力がある、とイエスは見ているのです。」とあるが、私はむしろ、イエスは当たり前の一人の人間として分け隔てることなく接し、その結果ザアカイの中で私ができる善いことはあるという泉が湧いて出たのではないかと思う。同じ職業を続けていたとしても彼の内面は変わった。彼の配下の徴税人にも福音は届いただろう。

2,000年を経て今も福音はのべ伝えられている。愛の火が灯ることもある。しかし、2,000年を経ても戦争はなくならないし、差別は起き続けている。私自身、自分の手が真っ白だとはとても思えないが、それでも私ができる善いことはやりたいと思う。

※画像はWikimediaから引用させていただいたザアカイに声をかけるイエスの絵。デンマークの作家の作品でRanders Museum of Artという美術館にあるらしい。デンマークはコペンハーゲンしか行ったことがないが、Randersはハンブルグの真北で地続きの場所となる。北海をはさんで真西にスコットランドのエジンバラがある。改めてGoogle Mapで広域を見ていると、コペンハーゲンで北海とバルト海が区切られていて、どこの街に行っても教会がある。政教分離は必要なことだが、EUが機能している背景にはやはりキリスト教的な価値観を共有していることが大きいだろう。少なくとも建前では、別け隔てなく人と接するのが正しいことだとされているのだと思う。