今日の日経で、2023年世界展望(1)ウクライナ侵攻、ロシアに代償という記事とクロアチア、ユーロを正式導入という記事が出ていた。覇権的ナショナリズムの恐ろしさと、自由を求める民の力の強さを感じている。専制と隷従を指向する権力者は一様にナショナリズムを煽り、敵の存在を煽り、負けないためには強くなるしか無いと説き、民を窮乏に押しやるとともに自由を奪う。
昨年ウクライナ侵攻が起きた時、私はウクライナの人は戦闘を放棄して逃げて欲しいと願っていた。逃げられない人はロシア政府に服従するしか無いが、戦うよりマシだと考えていた。しかし、ウクライナの人たちの、もう隷従は絶対に嫌だと考える思いは想像を遥かに超えて強かった。正直に言ってその強さにびっくりした。個々人ごとに意識の違いはあり、夫や息子、父に一家で逃げることを願った人もいるだろう。隷従は絶対に嫌だと思っていても、命を危険にさらすような行為に参加したくない、参加させたくない人もたくさんいる。協力して独立を守れという同調圧力は成果を出す効果と人の命を奪う効果がある。一度動き始めるとそう簡単に方向転換はできない。
今回は、当初はEU諸国も米国も防衛協力と経済制裁でプーチンに対抗した。これからどうなるかはわからないが、今の所ウクライナの意思を応援する動きが続いている。ゼレンスキーは民主主義を敗退させてはいけないと言っている。しょうがないのかもしれないが、敵基地攻撃を強めている。クリミアを含めてウクライナの領土を回復し、ロシアに賠償させることがゴールになるのだろう。そして、NATOに加盟し集団的自衛権を獲得していくことになるのだろう。
改めて憲法前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」を思い起こす。集団的自衛権で武力侵攻への耐性を高めたいという判断は現時点では現実的な選択となるだろうが、実際には国内の専制と隷従を保護する施策とも言える。国の内部に圧迫を受けている人がいない国は存在しないし、望んでも自治を得られない集団は数多く存在する。今の状態で個々の国境や国の認定を固定化することは「専制と隷従、圧迫と偏狭を除去」することにはならない。内政干渉することなしに、人権を確保し、高めていくことはできない。制度を機能させるという意味では国家に頼らざるを得ないが、民が国家に対して上位に置かれなければ専制と隷従の構造を破壊できない。どうしても、脱ナショナリズムは避けられない。国家の属人性をどんどん高めなければならず、民の自由をナショナリスティックでない形で実現しなければいけない。国家が排他的になることを制度的に禁止しなければその夢は実現できない。
日本だけではないが、国家が日本人を守る国とか白人を守る国家になってはだめなのだ。関わる全ての人の人権が守られる方向に制度設計ができなければ平和が来ることはない。短期的にはヒーローに頼って利益が得られることはあるだろうが、それは悪魔のささやきだ。
指導者、権力者が思い通りに運営できる国を作れるようでは困る。
私は、現状では多くはEUのルールを世界で広げ、各国の人権を高める良いルールを拾い集めて強化していくのが現実的な道だと思っている。逆に言えば、もっと簡単に国が国として認められるようにできないといけないだろう。国内の話で言えば地方分権の話でもある。中央で徴税して地元に持ってくるのが地方分権ではない。持続可能な地域あるいは集団の設計をどうやるかという話だろう。多分、まず移動の自由が確保されないといけないのだと思っている。
年頭にシェンゲン圏にさえ入れれば、自由に行ける場所にクロアチアが含まれるようになったことを祝いたい。中央アジアの国々が隷従を是としない方向に動き始めていることを喜びたい。一方、解釈改憲をやってしまった故安倍氏を強く糾弾するとともに、凋落しつつある現実に向かい合うこともなく、武力に頼って国家(権力)を守ろうとする現政権に軌道修正させたいと願っている。ナショナリストに権力を与えてはいけない。それは平和憲法の破壊に他ならず、国民の自決権の放棄にほかならない。人に頼ってはいけない。人が変わっても持続的な人権が高まる方向の制度設計を目指さないと破綻が待っている。
この厳しい環境の中ではあるが、21世紀が力に頼るナショナリズムからの卒業を実現する世紀になることに期待したい。