(高橋和巳の)ヒューマニズム

2023年3月29日の日経新聞朝刊の「春秋」に目がとまった。

(高橋和巳の)代表作「堕落」の主人公は独白する。「政治的に思弁するということは、それ自体が悪なのだ」。政治の本質は陰謀だ。対立する敵の行動に備えるには、理想を説くのではなく、自らも邪悪な思考を身につける必要がある。歴史を動かしてきたのは、悪人なのだ。「こうした人間に、どんなヒューマニズムがありえようか」

歴史を動かしてきたのが悪人と言い切るのも無理があるとは思うが、良いと思うことを成し遂げようと思えば、対立する相手に負けるわけにはいかない状況に追い込まれることは避けがたい。直近であれば、安倍、高市によって大きな制限を受けるようになった報道の自由を拡大するためには、相手の弱点を見つけて攻撃するしかなかろうという考えはおかしいものだとは思わない。やったことを見れば、安保法制に関する解釈改憲も含め常識的に考えれば違法行為そのものだろう。論理的に話をすれば違法行為を犯した側は耐え得ない。だからごまかす。ごまかしても違法性は消えない。手詰まりになれば力で弾圧していくというのがお決まりのパターンである。それでも、自分が弾圧されたと感じるまでは他人事として見逃してしまうことは日常茶飯事だ。

国家観、価値観は千差万別で一つにまとまることはない。違法であっても、それがどうしたと考える人もいる。法に従って不利益を被るよりは法を破ったほうがましと考える気持ちは多かれ少なかれ誰にもあるだろう。理想を説いても共感が得られるとは限らない。

逆に今主流派に属していても、いつまでも追い風が吹き続けるわけではない。風向きは時とともに変わる。今吹いている風向きがそのままであり続けるわけではないが、どう変わるかは予想困難だ。力で押さえつけようとしても現実との乖離が大きくなれば押さえ続けることはできない。より強権を発揮するようになれば体制を維持しても交代しても被害者を増やす。

「自らも邪悪な思考を身につける必要がある」は、現実だがその結果邪悪になってしまえば本末転倒である。このくらい大丈夫という油断が転落を招く。そして、油断を招く誘惑はリーダーの周りには満ち満ちているのだ。

一つ言えることとしては、ごまかす人に力を与えてはいけないということなのではないかと思う。とは言え、恐らく極論すれば他人の人権などどうでも良いと思う部分は誰の心のなかにも潜んでいる。内なる悪魔の誘惑とどう向かいあうかを、問われているのだろう。キーワードは「排除、排斥」ではないかと思う。

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