新生活138週目 - 「聖霊を与える約束」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「復活節第6主日 (2023/5/14 ヨハネ14章15-21節) 」。並行箇所はない。先週の直後の箇所で告別説教の続きの部分。

福音朗読 ヨハネ14・15-21

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

 この後、逮捕の予告と思われる発言があって、31節には「さあ、立て。ここから出かけよう。」という記述があるので、14章は14章で完結しているように読める。

福音のヒント(1)では、18節の前半「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」を中心においている。18節後半は「あなたがたのところに戻って来る」と書いてあるが、人間イエスはこの時何が起きるかを本当に分かっていたのだろうか。なんとなく、このヨハネ伝の記述は後出しジャンケン感がある。ただ、現在の三位一体の解釈はこの箇所の記述に強く影響を受けたように思う。人間イエスには聖霊が下ったわけで、イエスと聖霊は同じものではない。福音のヒントにあるように「「聖霊」とはわたしたちのうちに働く神の力」という解釈には納得感がある。自分の体験として信仰告白ができたということは、通常ありえないことが起きたという意味で、聖霊の働きだと信じている。ただ、聖霊は目に見えないし、イエスと結びつけて捉えなければその力を受け取ることはできない。イエスが人間として生きたからリアリティをもって受け取れるのだと思う。

福音のヒント(2)で代弁者について書かれている。英語ではParaclete、ギリシャ語ではΠαράκλητον、Biblehubでは英語にAdvocate(擁護者、弁護士)を与えている。Wikipedia英語版では、イスラム教では「別の弁護者」はムハンマドのことを指すとしているように書いてあった。筋は通っているが、人間の形をとって現れれば、一定期間しかこの世には居続けることはできない。復活のイエスを信じれば、次はありえないというのがキリスト教徒の考え方となる。福音のヒント(3)では光と闇の話に触れているが、現代では二元論的な解釈の危険性が認識されている。男と女をYes/Noで判断することが現実的でないことも分かってきているし、一方で法治主義も支持されているから何らかの形で是非は判断しないわけにはいかない。イエスに関しては、黒であることが確実で石打ちが適切とされた人を罰しなかったことが記録されている。法治を徹底するのであれば法執行機関は石打ちをしなければならないが、イエスはその立場には立たない。欧州の死刑廃止論はこのあたりに根ざした価値観と言えるだろう。「別の弁護者」は法を超えて、助言する存在と取ることもできるだろう。現実は厳しい。安全を考えればトイレを性で分けるのは合理的で、そのルールの厳格化は、マイノリティの排斥を生んでしまう。置かれている状況によって、法を犯さなければ生きていけない人は存在するのである。多様性を受け入れれば、心配しなければいけないことは増える。できるだけ包摂できる環境に向けて聖霊は働くのだろう。ただ、個々人は自分の視点あるいは利害で他との関わりを捉えてしまいがちである。正しさの見え方は置かれている環境で大きく割れる。

例えば安倍氏は「自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値」と言ったが、実際にやったのは自由や民主主義、人権の制限であり法の逸脱だった。権力は闘争が伴い、権力者側に入る障壁を高めようとして独裁に向かう。壁を高くして排除することが短期的には効果的になるが、それは破綻への道だ。同盟国などという概念も似たようなものだし、アメリカの共和党、民主党の見にくい闘争を見ているとお互いに排斥しあう景色は愛の世界から遠く離れたものだ。EUも死刑廃止など何とか持続性の高い法の確立に向けた動きはあるが、内部はゴタゴタしていてBrexitに限らず多様性受け入れに伴う心配を克服することはできない。立法に関わる人と市井の人の感覚に距離があると、理想を追求しても現実はついてこない。形だけ「自由、民主主義、人権、法の支配といった基本的価値」と唱え続けても、それを可能にする技術開発、社会システムを作り上げていかなければ現実は変わらない。人間の努力が必要なのだろう。

聖霊が働く時、愛が生まれる。できることがある時は、それが困難な道であっても動かなければいけない。

※画像はWikimedia Uncial 060 (GA) manuscript of the New Testament, showing John 14:14-17, 19-21