新聞と学会

学会発表あるいは論文誌掲載は、査読があって査読を行うチームへの信頼でなりたっている。その原資は学会の会費、あるいは高価な論文誌の収益からなりたっている。

今日、『退職してフリーになります。そこで皆様にお願いがあります。』を読んで感じたのは、一人の記者の記事を読むために500円は高いと思った自分への驚きだった。私は、岩永氏の記事は興味深いと思っている。直近では、高山氏由来の『新型コロナが急激に感染拡大する沖縄 「まだコロナは終わっていない」』も、西浦氏由来の『水面下で広がる第9波、3つの特徴』も読み応えのある記事だ。

編集は、編集者の視点で行われる。もちろん、その属人性が危険なことは分かっているので、編集委員会などの制度が作られてきた。編集委員会が強くなると判断のスピードは落ちる。ブレークスルー論文や記事、あるいはスクープの掲載ヒット率は落ちる。読者は、早く情報を得たいから、査読をゆるくして欲しいと思うようになる。しかも、ブレークスルーから起きる事業化には大きな金がつく。リスクはあるが、大化けすることがあるので事実の追求を求める人以外からも注目される。霞を食って生きていくことはできないし、研究者や記者も競争社会に生きている。

思い当たるのは、NHKの事だ。実質的に税金のような課金で運営されている。その編集委員の質は、国の将来を左右する。同時に、情報操作で権力の獲得を目指す人にとっては何としても抑えたい存在だ。

私は岩永直子の記事に払うかどうかはまだ決断できていない。理由は、自分が見える世界が狭いと思うからだ。

どうしたら、良い編集者、査読者をその地位につけることができるのだろうか。その問は、人類の未来に関わるだろう。

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