腐敗した組織を回復させるのは難しい

自民党と統一教会との癒着も一例だが、一度組織の中枢が傷んでしまうと、容易には立て直せない。

昨日、エレミヤ書26章でのエレミヤの言葉、

「主がわたしを遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。今こそ、お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない。主はこのように告げられた災いを思い直されるかもしれない。わたしはお前たちの手中にある。お前たちの目に正しく、善いと思われることをするがよい。ただ、よく覚えておくがよい、わたしを殺せば、お前たち自身と、この都とその住民の上に、無実の者の血を流した罪を招くということを。確かに、主がわたしを遣わし、これらのすべての言葉をお前たちの耳に告げさせられたのだから。」

を砧教会の金井美彦氏は脅しの言葉だと解説していた。脅しでもなんでも無い。預言者が与えられた言葉を取り次いだ時にそれを弾圧すればその責任は弾圧者にある。それを、そのまま言明したことにほかならない。

権力者の視点で見れば、具合悪い言葉だが、実際にユダ王国はまもなく滅亡するわけで、権力者側は権力を維持することはできなかったというのが歴史の事実である。それが、神に対する信仰の不足だったかどうかはわからないが、不都合な指摘に向かい合えなくなった組織はやがて滅びる。

「一丸となって」という言葉を使うようになったら、あるいは政府のように連発するようになったら、それはかなり破滅に近づいていると考えたほうが良い。理由は単純で、その言葉を使うということは、今は一丸でないということで、意見が一致しているわけではないのに一色に染めようとしているということだ。短期で考えれば、特定の課題解決のために異論を排除して力をあわせるのは合理的とも言えるが、権力の集中が長くなると例外なく組織は腐る。いつのまにか、全体のための一丸が権力者のための一丸に変質してしまう。組織は中枢部から腐るのである。

2020年6月7日事件では、私は金井美彦氏と佐分利正彦氏の総会決議違反を合理的な理由をもって告発した。最初の瞬間こそ金井美彦氏は自分を外して議論するように役員懇談会を開催するように指示した。ただ、その取りまとめを当事者の佐分利正彦氏にさせたのが痛恨のミスだったと思う。その後、完全に独裁者の罠に堕ち、今も視点はサンヘドリンと同じだ。安倍政権とも良く似ている。事実を曲げ、異論を述べるものを弾圧することで体制を守ろうとしている。自ら犯した空き巣容疑者に対する人権侵害も反省表明することさえできない。役員会も、その独裁を止めることができていない。

私は、砧教会が倫理的に崩壊していくのを見たくない。自分が育った家だからだ。

ただただ、「道を真っ直ぐにせよ」と言い続けるしか無い。金井氏は、説教で道を真っ直ぐにせよと言っても問題は解決しないという意味の発言をした。組織は頭から腐る。腐らせたのは、自己保身を優先する弱さだ。その弱さは私にもある。その弱さを克服するのは困難だが、主の祈りの「御国を来たらせ給え」は自分の中の弱さに溺れないように守ってほしいという祈りだと私は思っている。

できるだけ科学的に正確に情報を集め、多様な視点で分析を行い、権力維持指向ではなく広く長期で方針を定めて手を打つのが望ましい。多様な視点の中には、ナショナリズム視点もあっても良い。しかし、事実を曲げてはいけない。事実の解釈にはバリエーションがあるが、事実の追求に蓋をしてはいけない。

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