投票率と民度

NYタイムズにOhio Vote Shows Abortion’s Potency to Reshape Electionsという記事が出ていた。読みやすい記事ではないが、オハイオ州の憲法の改正条件を厳しくするという議案issue 1で否決されたことが書かれている。さっそくwikipediaでも記事ができている。議案もネット上に公開されていて、そこには中絶の権利のことは書かれていないが、焦点は州憲法による中絶の権利の制限(緩和)なのだそうだ。連邦憲法の中絶権が州憲法に優先しないという判断が出たことで、州で基準を定めないといけない。

投票率は38%と、同州では極めて高い数字とのことで、最近権力の座に多くの議員を送り出すことに成功している共和党右派と、一般大衆の考え方には大きなギャップが有り、州憲法を一度改正したら容易に変えられないものにされてはたまらないという意志が示されたことになる。とは言え、38%の人の57%がNoと言ったというのが現実であり、全体の5割以上がNoと考えているかどうかはわからない。

憲法が州のものであれころころ変わるようだと困るが、一方で意見が割れていることを勢いで是非を決めてしまい決まったことが変えられないのも困る。連邦レベルで中絶の是非の判断が変わったことによって起きている混乱とも言えるだろう。中絶反対派の人からすれば、ようやく秩序の正常化が目指せるようになったと考える人もいる。何とか法制化して女性の権利を制限するのが正義と考えていれば、共和党が強い間に制度を作ってしまって固定すれば良いと考える。トランプが最高裁判事に保守派を送り込んだことで判断が覆るようになったのと同じ理屈である。

意見が割れるのはしょうがないことだ。意見が割れている事柄をどう扱うかについても意見は割れる。

例えば、地球温暖化対策は痛みを伴う様々な施策が必要になる。制度設計と民間で解決できれば増税は不要になるかも知れないが、増税で金を集めて施策を進めるより、政府の統制は効きにくい。大きな話は、何が正解かわかりにくい。多数が事実と未来推定を理解できるわけでもないし、そのための時間もない。官僚と政府機関の優劣、その答申を立法府が受け止められるかどうかで未来は変わってくる。

中絶問題は、倫理観の影響を受けるので、党派的になりやすいが、高福祉社会かどうかで当事者の判断は変わるだろう。倫理的にだめなものはだめというのをルールとするか、規制は最小化した上で中絶の判断をする人を最小化するという道もある。問題を個人に押し付けるか、社会で吸収するかという選択と見ることもできる。

アメリカを見ていると、多数決に頼りすぎて、時間と労力を必要とする社会的な解決を志向する力が相対的に弱まったのではないかと思う。課題解決手段の考察より、人気投票に流れがちだ。格差の拡大で、官僚と政府機関が弱体化しているのだろう。双方から合意が得られる施策が作れていないとういうことだ。

下り坂の国家に効く定石の確立が必要だと思う。勢いのある時期の施策とは別の道を選ばなければいけない。新陳代謝以外の方法はないのかも知れないが、探せば道はあるんじゃないかなあ。

アメリカの民主主義の進化に期待したい。誰かが手本を示せば、世界が良い方向に変わる可能性がある。日本に期待した人は多分世界中にたくさんいたのだが、残念ながら手本になるまでには至らず、いつのまにか過去の国になってしまった。オハイオから学ぶことはきっとある。

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